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15 長野五輪を控え

  • 4月26日
  • 読了時間: 3分

「地球環境に配慮」提案へ ファッションショー計画

手染め染色の技術指導を受けながら、生地に直接絵を描いてテキスタイル制作を進める私(左)=1997年12月
手染め染色の技術指導を受けながら、生地に直接絵を描いてテキスタイル制作を進める私(左)=1997年12月

 長野冬季五輪を2年後に控えた1996年。私は2度にわたる清掃工場でのショーを経て、「環境とファッションの共生」をテーマとしたショーを、より多くの人たちに伝えたいと思うようになっていました。長野五輪の基本理念は「美しく豊かな自然との共存」。県は環境保護を優先して競技会場を調整し、身近な分野では、ジャガイモを原料にしたお皿やフォークの使用が検討されていました。


 世界中からこの自然豊かな長野が注目される機会に、私は小さくても、もっと地元市民が積極的に参加できることはないかと考え、一市民として、また一人のデザイナーとして「環境循環型社会のメッセージを伝えるファッションショー」を開催したいと思ったのです。


 とはいえ、私一人の思いがかたちになるかは全くの未知数。しかも長野冬季五輪開催まで、残された期間は2年を切っています。それでも実行に移そうと決めた私は、長野五輪招致に携わった人たちに自分のプランを相談することから始めました。その際、「オリンピック文化プログラム」に認められれば開催期間中にショーを実現できる可能性があるとアドバイスをいただいたのです。


 開催できるか全く不確定でしたが、自分がまず「やれる」と信じて準備を始めなければ事は進みません。結果、(1)メッセージが伝わる衣装の制作(2)文化プログラムとして認定を得ること(3)実施するための協賛金を募ることの三つを同時進行で進めていくことになりました。


 ショーのタイトルは「Fashion(ファッション) for(フォー) The(ジ) Earth(アース)」。地球環境に配慮したファッションの在り方を提案したいと考えたのです。そのための素材はシルク、ウール、綿、麻などの天然繊維に加え、将来に向けまだ開発途中だったトウモロコシのでんぷん由来の「ポリ乳酸繊維」。CO2 を削減し、地球環境に負荷の少ない繊維を使用した衣装制作を計画し、テキスタイルづくりから着手しました。


 そのため長野はもちろん、群馬、新潟、京都、福井など各産地、30件以上の機屋や加工、染屋を訪ね回り、ショー作品にする試験反を織ってもらったのです。まだ誰も手にしたことのなかったポリ乳酸繊維は、テグスのように硬く、職人さんたちも「こんな糸ではなかなか難しい」と難色を示し、機械が傷むとも言われました。そんな中、桐生の定年間際の職人さんが「やってみないと分からないから職人の勘で遊んでみる」と引き受けてくださるなど、困難であっても作業は少しずつ進んでいきました。


 そんなゼロから始まったショーの作品制作は、たった3人のスタッフと共に進められました。五つのテーマで構成された作品総数は約160点。テキスタイル、デザイン、パターン、縫製、加工など…。環境ファッションショーの開催は依然確定していませんでしたが、まずは自らが「必ず実現する!」と信じて作品制作に集中。万が一実現しなかったとしても資金面の責任は持つ覚悟で臨みました。また、賛同者や協力者にはこの思いと姿勢を伝えながら一緒に一つ一つ実現に向かって交渉し、理解を求めていきました。その結果、時間はかかりましたが、本当にありがたいことにオリンピック文化プログラムとして認定され、協賛金や技術面の応援が企業や団体の皆さまから得られるようになっていったのです。


 走り続けた1年半…。時には心が折れそうになることもありましたが、ここまで来られたことに感謝しました。そして1998年2月7日のオリンピック開幕へのカウントダウンが始まりました。

(聞き書き 中村英美)


2025年4月26日号掲載

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