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07 東京へレッスン通い
先生宅は生徒が全国から 生の演奏聴き大きな刺激 高校3年生の修学旅行で京都・奈良を訪れた時の私 高校3年の夏休み、私は、東京・江古田の武蔵野音楽大学で開かれた音大受験生向けの夏期講習会に行きました。東京は中学の修学旅行以来で、音大のキャンパスを見るのは初めてでした。キャン...


06 長商吹奏楽部
クラリネットに夢中に 顧問の勧めで音大目指す コンクールで、大きな振りで指揮をする私(手前) 1965年4月、長野商業高校に進学した私は迷わず吹奏楽部に入りました。高校では好きな楽器を選ぶつもりでした。 メロディーを演奏する楽器が絶対条件で、まず希望したのは金管楽器の花...


05 柳中吹奏楽部
単調な「後打ち」練習に落胆 リズムの大切さを教わる 中学生の頃、休日に訪れた善光寺六地蔵の前で 昭和30年代の柳町中学校は、生徒数が多い県内屈指のマンモス校でした。私が入学した1962(昭和37)年は1年生が14組、2年生は15組、3年生は16組もありました。...


04 合唱団に入る
音楽にふれた最初の経験 人前で披露 気持ちよく 仲良くしてくれた病院の先生の研究室に行った時の私 1956(昭和31)年、権堂町にほど近い鍋屋田小学校に入学した私は相変わらず、友達と権堂町の道端で「パッチン」をして遊ぶことに夢中でした。7歳上の兄はすでにパッチンを「卒業」...


03 活気にあふれた権堂町
通りは人であふれ店繁盛 映画館の隣に「丸光百貨店」 秋葉神社裏にある国定忠治の墓 「赤城の山も今宵を限り…」のせりふで有名な江戸時代の侠客国定忠治。権堂町は、娘を身売りした農民を忠治が助けた逸話の舞台で、忠治の墓が秋葉神社裏にあります。明治屋の横にあった「忠治柳」は残念な...


02 生まれは権堂町
町が「わが家」 歓楽街の活気 7歳上の兄が父親代わり おしゃれをして母の店の前で 1949(昭和24)年、12月21日、私は長野市権堂町で生まれました。母の澄子は権堂3丁目で「ミマツ」という名前のバーを経営していました。カタカナでミマツと書かれた大きなガラス戸は子どもな...


01 クラリネット一筋
柳中で始めてから60年余 恒例のリサイタル今も ステージに立つ私 クラリネット奏者として活動して50年以上たちました。75歳の今も、後援会はじめ多くの人たちの応援を得て、吹奏楽の指導や個人レッスンなどをしながらステージに立っています。10月12日(日)にホクト文化ホールで...
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