06 長商吹奏楽部
- 10月4日
- 読了時間: 3分
クラリネットに夢中に 顧問の勧めで音大目指す

1965年4月、長野商業高校に進学した私は迷わず吹奏楽部に入りました。高校では好きな楽器を選ぶつもりでした。
メロディーを演奏する楽器が絶対条件で、まず希望したのは金管楽器の花形トランペット。これは、母に「音が大き過ぎて近所迷惑になる」と言われて断念。次の希望はサックスでしたが値段が高過ぎて高根の花。3番目がクラリネットでした。高校からクラリネットを借りてきて母に見せて相談すると音の大きさや値段などに納得してくれ、入学祝いを兼ねて新しいクラリネットを買ってもらいました。この時の選択が後々の人生に大きな影響を与えるとは、夢にも思いませんでした。
クラリネットを初めて吹いた時、すぐに音が出たことがうれしくて練習にも力が入りました。
柳中吹奏楽部の先輩もたくさんいて、演奏がうまく、尊敬していた2歳上の先輩がクラリネットを吹いていました。その先輩の楽器の扱いでは驚いたことがあります。
クラリネットには、マウスピースに装着して音色や吹き心地などを左右する「リード」という、葦で作られたパーツがあります。とても繊細で割れやすく、使ううちに薄くなる「消耗品」です。ある日、私が割れたリードを交換・破棄しようとすると先輩が「待て、俺にくれ」と言うので手渡すと、ナイフで丁寧に削り形を整えて自分のクラリネットに付けて、きれいな音で吹き始めました。うまい人は、いろんな工夫やアイデアを持っていることに感心しました。その先輩からはいろいろなことを教わり、影響を受けました。
吹奏楽部の顧問は新任の室星道彦先生でした。自身でもチェロを弾き、クラシック音楽に対して広い知識を持った先生でした。3年生の時、最後の吹奏楽コンクールで私に指揮を任せてくれました。吹奏楽部を引っ張るようにクラリネットの練習を夢中でしていた私を認めてくれたのだと思います。指揮棒を振ったことも握ったこともない私でしたが、腕や体を大きく動かし、体全体を使ってタクトを振りました。
音大進学を勧めてくれたのも室星先生でした。卒業したら「会社員になるのかな」と漠然と考えていた私の心は動きました。母の顔も浮かびました。「母は何と言うだろうか」。私の気持ちを察したのか、先生自ら私の家を何度も訪れて、母を説得してくれました。音大について詳しく説明し、「伝田君には、音楽のセンスがある」と褒めてくれました。いつの間にか母も私も、卒業後は音大に進学するという流れに傾いていきました。室星先生がいなければ、今の私はなかったでしょう。
3年生の夏、担任の先生から「お前、どうするんだ?」と聞かれました。室星先生の勧めがあり、私は初めて「音大に行きます」と思いを口にすると、担任の先生は、「そうか、頑張れよ」と答えただけ。拍子抜けするくらいあっさりしたものでした。長商から音大進学など、ほとんど前例がなかったため、びっくりしてどう対応していいのか分からなかったのだと思います。
音大受験を決断したものの何をどう勉強していいか分からず焦り始めた時、近くの西沢書店で見た案内を頼りに、東京にある武蔵野音楽大学の夏期講習会に行くことにしました。
(聞き書き・斉藤茂明)
【伝田高広クラリネットリサイタル】
2025年10月12日(日)14時、ホクト文化ホール中ホール。一般2500円(当日3000円)、学生500円
(問)後援会事務局☎︎090・5757・1304
2025年10月4日号掲載



