15 クライン先生
- 2025年12月6日
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「ドイツ式に変えなさい」 度々言われ気まずくなる

私がケルン音楽院(現・国立ケルン音楽大学)で師事したフランツ・クライン先生は、世界的にも知られる「バイロイト祝祭管弦楽団」のメンバーでした。
ドイツにはオペラを上演する歌劇場がたくさんありますが、「バイロイト祝祭管弦楽団」は、各地にある歌劇場のトップクラスの奏者をえりすぐって編成され、先生は、その中でソリストを務める実力者でした。切れのいいスタッカートをワンブレスで2分間も続けてしまうパワーとテクニックは信じられないものでした。
クライン先生に初めて会った時は、名前に反して相撲取りのような巨体に驚きました(ドイツ語でクラインは小さいという意味)。先生がクラリネットを持つとまるでおもちゃのようでした。レッスンでは、何か気に入らないことがあると、ぷいっと怒って部屋を出て行くことがありました。私たちが困っていると、しばらくしてコーヒーを片手に戻って来て、何事もなかったように「さあ、始めて」とレッスンを再開することが何度もありました。
レッスンではエチュード(練習曲)やスケール(音階)のほかに、クラリネットコンチェルトや「オーケストラスタディーズ(オーケストラでは必須の曲)」を中心に演奏しました。シンフォニーやオペラといったオーケストラで働くための実践的なレッスンでした。ただ、ドイツのオーケストラの正式団員になるには「ドイツ式」のクラリネットでなければならないオーケストラがほとんどでした。入団要項にも「ドイツ式」とよく書いてありました。
日本ではほとんどの人が「フランス式」で学んでいました。オーケストラにエキストラ奏者として参加する場合はフランス式も認められていたため、私はエキストラの一員として仕事もしていました。
先生は、自分の学生を優秀に育ててドイツのオーケストラに入れ、活躍してもらうことが、教育者としての使命だとの信念を持ち、ドイツ音楽の伝統・文化を守ることにもつながると考えているようでした。ケルンに一緒に来てクライン先生に師事した鈴木君はドイツ式に変え猛練習の末、ドイツのオーケストラに入団しました。
私は漠然とですがドイツで学んだ後、日本に帰り日本のオーケストラに入ることを考えていたため、ドイツ式に変える気はありませんでした。そんな私に先生は毎日のように「ドイツ式に変えるように」と言いました。何度も言われ続けるうちに、次第に先生との関係は気まずくなっていきました。
私がこの先のことについて悩んでいる時に、以前からレコードなどを聴いていいと思っていたクラリネット奏者のシュタルダーさんのことを思い浮かべました。シュタルダーさんはスイスの「トーンハーレ交響楽団」の首席奏者を務めていて、「コンサートに行けば会えるかな」と思いコンサートが開かれたスイスのチューリッヒに出かけました。トーンハーレ交響楽団の演奏を聴いてすぐ楽屋を訪れ、私はシュタルダーさんに「生徒にしてもらえませんか」と直接お願いしましたが、「今は大学で教えていない」と断られました。私は一度ケルンに戻りましたが、クライン先生のレッスンに行くのはおっくうでした。
これからどうしようか考えている時に、スイスの「ルツェルン音楽祭」の一環としてシュタルダーさんの「マイスターコース」の講習会があると知り、受講するため、再びスイスに向かいました。
(聞き書き・斉藤茂明)
2025年12月6日号掲載



