25 教え子たち
- 2月21日
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信大生・音大志望者を指導 門下生が集まり演奏会も

私が留学から帰国後まもなくして、山ノ内町の市川弘樹君という高校生が個人レッスンに通ってくるようになりました。高校の吹奏楽部長を務め、熱心でやる気がありました。武蔵野音楽大学に進学しましたが、「どうしてもスイスに行きたい」と音大を中退して、私が学んだバーゼル音楽院に留学し、私の恩師のシュタルダー先生に師事しました。卒業後はオーケストラなどで活動し、結婚して今もスイスで暮らしています。
私がスイスを訪れた時、市川君とシュタルダー先生と私の3人で久しぶりに会い、食事をしました。そこで市川君はシュタルダー先生のことを「ハンス!」と名前を呼び捨てにしているのに驚きました。
かつて私がバーゼル音楽院にいた頃、学生生活に慣れるとシュタルダー先生から「そろそろヘル・シュタルダー(シュタルダー先生)ではなく、ハンスと呼ぶように」と何度も言われました。いくら自由奔放な性格の私でも自分の師の名前を呼び捨てには絶対にできないと思っていました。
市川君は普段控えめで常識のある青年でしたが、彼が欧州の生活習慣に自然に染まった姿に頼もしいと思うとともに時代の流れを感じました。
私は、個人レッスンや吹奏楽グループの指導をする傍ら1995年に信州大学教育学部の講師になり、教育課音楽の管楽合奏の講座を受け持ちました。学生たちが教師になった時に吹奏楽部などで指導ができるようにする授業でした。
学生各自が工面して楽器を持参しました。うまく吹ける人と吹けない人のレベルに差がある中でどのように指導していけばいいのか—。私は、中学から吹奏楽を始めた自分の経験を生かして教えるように心がけました。学生たちは実際に音を出して合奏するのが一番楽しそうでした。そのうち、教育課以外の学生も授業を受けたいと来るようになりました。私は「いいよ」と快諾し、たくさんの学生を教えました。
学校の吹奏楽部の指導を頼まれることも何度かありました。私が顧問の先生に「初めまして」とあいさつすると「信大で先生の授業を受けました」と懐かしそうに言われることがしばしばありました。その後は必ずといっていいほど「面白かったです」と続きました。
95年には小諸高校音楽科でも教えることになり、クラリネット科の学生の個人レッスンをしました。ほぼ全員が音大志望でした。私は音大に行きたいと思っても当時どうしたらいいのか分からず、書店で見つけた武蔵野音大の夏期講習の案内を頼りに東京に出かけ、それからピアノやソルフェージュを始めました。それに比べて小諸高校音楽科には音大受験のための基礎能力を養う授業があり、音大を目指す学生にはとても恵まれた環境だと思いました。
クラリネット科の学生は少人数でしたが、クラリネットへの思い入れが強く、まとまりも良く、今でも時々顔を見せに来てくれます。中にはアメリカから欧州に渡って指揮者に転向して活躍している人、オーケストラの団員になった人、学校の先生になった人、クラリネットを教えている人など、それぞれに成長していてうれしく思います。
私が初めて指導した一番弟子の信大生が後に校長先生になり、彼が中心になって私の門下生を名簿化してくれました。それをもとに門下生たちが「伝田高広門下生によるコンサート」を企画し、2011年と24年に開催してくれました。長野だけでなく、国内外で活躍している「教え子」たちが集まりました。ソロやアンサンブル、オーケストラ、クラリネットのみの編成による演奏を行い、ほかにはない画期的なコンサートになりました。打ち上げは同窓会のようでした。
(聞き書き・斉藤茂明)
2026年2月21日号掲載



