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24 後援会ができる

  • 2月14日
  • 読了時間: 3分

数々のコンサートを支援 豪華な演奏家との共演も

ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団と共演する私(右から2番目、左端がキュッヒルさん)。後援会が作ってくれたそろいの法被姿で演奏した
ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団と共演する私(右から2番目、左端がキュッヒルさん)。後援会が作ってくれたそろいの法被姿で演奏した

 1983年、欧州で当時活躍中の日本人演奏家による「西ドイツ・ダルムシュタットアンサンブル」が来日した際、長野公演で彼らと共演しました。欧州で磨かれた芸術性や技術力は素晴らしく、私にとって大変刺激的なものでした。声をかけてくれたのは、ケルンで一緒だった上田市出身のホルン奏者の山岸博さんで、その後、読売交響楽団の首席奏者になりました。


 この時、特に華やかですごいと感じたのがバイオリンの西田博さん。彼とは同い年で、「また一緒にやろう」と意気投合し、彼が次に帰国した時には2人でコンサートをしました。その後、彼は東京交響楽団のコンサートマスターに就き、テレビ番組「題名のない音楽会」などで活躍を目にしました。


 西田さんが出身地の愛知県瀬戸市で開いたリサイタルに長野の友人たちと聴きに行った時のこと。リサイタル後の打ち上げで、「西田博後援会」の人たちがしっかり支援していることに感心しました。それに大いに刺激を受けたのか、長野に帰る車中、友人たちから「伝田の後援会をつくろう」と声が上がり、その後、後援会が立ち上がりました。


 「伝田高広後援会」には、私の音楽活動を全面的に支援、運営してもらっています。中でも、コンサートの企画・管理をしている「オフィス繭」の尾崎明子さんはバッハ・ゾリスデンやウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団、ライプツィヒ弦楽四重奏団など欧州の豪華な顔ぶれと長野での共演を実現してくれました。


 バッハ・ゾリスデンの指揮者ビンシャーマンさんは、私の恩師・村井祐児先生の師でもあり、とても風格がありましたが気さくに話しかけてくれる方でした。


 ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団はウィーンフィルでコンサートマスターを務めるライナー・キュッヒルさん率いる四重奏団。東京で行われたリハーサルでは途中、メンバー同士がはっきり自分の意見を言い合う姿が見られました。なかなか意見がまとまらず私がハラハラしていると、キュッヒルさんが「私の言う通りに!」と一喝してまとめてしまった時には「さすがコンサートマスター」と感心しました。私とはテンポについてなど、少しの確認をしただけでしたが、久しぶりのドイツ語でもあり緊張の時間でした。


 長野公演は本番直前、ステージ横で緊張して出番を待っている私にキュッヒルさんが突然、壁の張り紙の「火気厳禁」を日本語で読み、私にニコッと笑いかけました。「漢字が読めるんだ」とびっくりしている私に「今日のお客さんは君を見に来ているんだね」と日本語で言いました。お客さんの多くはキュッヒルさん目当てだと思いましたが、彼らしい一言で緊張がほぐれた気がしました。初めて聞くキュッヒルさんの日本語でした。


 終演後、私の後援会主催のパーティーにメンバー全員出席してくれました。料理を食べながら話をし、一緒に写真を撮って楽しく過ごしました。当初、キュッヒルさんに近寄れなかった後援会の人たちも緊張が解け、彼の前には記念撮影の列ができていました。 


 カール・ライスターさんとの共演も忘れられません。ベルリンフィルの首席奏者を長く務め、サイトウキネンオーケストラでも活躍し、「世界一のクラリネット奏者」として君臨した名手です。リハーサルでは守るべき要所を確認しました。彼の音は安定感が素晴らしく、目の前で聴き、感激しました。本番で私が一曲古楽器を吹いた時には、彼はステージ横から自身のカメラで私を撮影し、無邪気な一面も見せてくれました。打ち上げにも参加してくれ、大いに盛り上がりました。


(聞き書き・斉藤茂明)


2026年2月14日号掲載

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