14 寮生活
- 2025年11月29日
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ビール片手に異文化交流 私の作る日本食が評判に

ドイツに着いて約半年後にようやく寮に入ることができました。寮には、私の留学先のケルン音楽院(現・国立ケルン音楽大学)のほかにも総合大学や舞踊学校の学生もいました。バレリーナは驚くほど細く、寮の食堂などで踊ってくれたときの姿は素晴らしく、その場にいたみんなが「ゼアシェーン(とても美しい)」と拍手しました。
部屋は1人部屋と夫婦やきょうだい向けの2人部屋があり、留学生も入っていました。食堂では自炊もでき、ビールも飲めました。大学の講義の後、学生がビール片手に食堂に集まり、「異文化交流」をしました。私は片言のドイツ語にジェスチャーを交えながら会話を楽しみました。
寮に入ってしばらくして、私なりのドイツ語勉強法として、日本の昔話をドイツ語に訳してみんなに話して聞かせることを思いつきました。「桃太郎」の話を食堂でした時には、「亀の背中に乗って海の中の竜宮城に向かうと…」と話し始めると、聞いていた学生が「それはおかしい。海の中は呼吸ができないはずだ」と言ってきました。私は日本のファンタジーだとし、「亀の形をした潜水艦に乗って…」に言い換えて話すと、面白がって聞いてくれました。こうしたやり取りを繰り返すうち、私のドイツ語は上達していきました。
ドイツ料理に飽きた頃、母が送ってくれたインスタントラーメンを食堂のキッチンで作っていると、「それは何だ」と数人の学生が寄ってきました。食べさせると「うまい」と大騒ぎになりました。野菜炒めを作ると学生が集まってきて、初めてのしょうゆの匂いや味にびっくりしていました。ようかんを見せた時には黒い色に驚き、「それは食べ物か」とけげんな表情の学生に一切れやると、「うまい」と感激したようでした。寮の食堂は、学生ならではの飾らない国際交流の場所でした。
学生の食事は質素で、朝食はパンと牛乳かコーヒー。欧州のパンは日本と違い硬いパンでした。昼はメンザー(学食)、夜は学生街の気軽なレストランに入るか、欧州の学生はパンとハム、ソーセージで済ませる人もいました。寮の冷蔵庫は共有だったため、収納は早い者勝ち。パンは冬になるとビニール袋に入れて、セントラルヒーティングで暖かくなった部屋の窓を外に向けて開けた取っ手にぶら下げて「保存」するのが寮の部屋の風景でした。
ケルンの隣のデュッセルドルフは日本企業の駐在員が多く、日本料理レストランや食材店がそろっていました。日本食が恋しくなるとよく行きました。ご飯が食べたくて米を買って鍋で炊いてみましたがうまくいかず、寮で知り合った日本人の演奏家夫妻に炊き方を教えてもらいました。夫妻は私が痩せていると心配したようで、頻繁に食事に呼んでくれました。夫妻は桐朋学園大学出身で、ドイツでもオーボエ奏者として活動し始めていて人柄がよく、後輩たちが頼りにして集まってきていました。異国での大変さを経験すると人脈や人間関係の大切さを改めて感じました。
寮の食事ではこんな失敗がありました。スーパーマーケットでドイツ語もよく分からず、安いからと缶詰を買って寮で食べていました。ある日、寮のドイツ人学生が部屋に来て、「タカ、猫を飼っているのか」と聞きました。「いや、どうして」と答えると、「だって、猫の缶詰があるから」。私が食べていたのは猫用の缶詰でした。缶詰に猫の絵でも描いてくれればと、今でも思い出します。
(聞き書き・斉藤茂明)
2025年11月29日号掲載



