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13 留学先のドイツへ

  • 2025年11月22日
  • 読了時間: 3分

下宿先すぐに決まらず 日本人修道女の世話に

ケルンの寮のロビー前で。左が私、右端が鈴木君
ケルンの寮のロビー前で。左が私、右端が鈴木君

 1973年、私はドイツのケルンに留学しました。出発前に村井先生は、留学中同じクライン先生に師事するからと鈴木豊人君を紹介してくれました。初めての海外生活なので知り合いがいれば心強いと思ったのでしょう。


 鈴木君は大阪出身で桐朋学園大学の卒業生。話しやすく、羽田空港からの飛行機の手配は鈴木君がしてくれました。運賃が安いものの香港、ニューデリーの空港など3、4カ所経由する南ルートにしたため、飛行時間が長く、ドイツのフランクフルトに着いたのは羽田をたってから約30時間後でした。空港や機内から見える風景など、最初は興味津々で見ていましたが、あまりに長い飛行時間と先行きの不安も加わり、とても窮屈に感じました。唯一、香港の空港内の免税店で初めて海外の雰囲気にふれた思いをしました。


 やっと着いたフランクフルトの空港には、先に留学していた武蔵野音楽大学の先輩が迎えに来てくれ、先輩の顔を見た瞬間、ほっとしたのを覚えています。ケルンへは列車で向かいました。「ケルン音楽院」(現国立ケルン音楽大学)に着くと、まず入学手続きをしました。2人ともドイツ語はまったく分からず不安でしたが、今度は鈴木君の大学時代の先輩が来て手伝ってくれました。


 次は住む場所です。とりあえず私たちは、手頃な料金の「コルピングハウス」というホテルのような施設に泊まりました。初日の夜は、ケルンに着いた安堵感とひどい疲れでぐっすり眠ってしまいました。コルピングハウスには2、3日滞在し、その後は夏休み中で学生のいない学生寮に泊まることができました。


 しかし学生が戻ってくる新学期までに下宿先を探さなければなりません。寮は室料が安い上、楽器の練習ができるため人気で、空くまで数カ月待ち状態でした。入居の申請をした後、鈴木君の先輩が紹介してくれた日本人シスター(修道女)が世話をしてくれた下宿に移りました。シスターは、私がクラリネットの練習ができるように隣の人に掛け合って、隣の人がいない場合は夜10時まで練習できる決まりを作ってくれました。ただし、これを破ると警察に通報されると注意されました。隣人や管理人が「静かにして」と一声かけるのではなく、いきなり警察官が来ると聞いて文化の違いを感じました。


 シスターは、私が下宿で使う食器などは修道院のものを貸してくれました。ドイツ語ができず、生活文化の違いに困っていた私たちはとても助かりました。その後、シスターらが運営する施設などでボランティアで演奏しましたが、少しはお返しができたかなと思っています。


 後で知ったことですが、ケルン音楽院でホルンを教えていたペンツェル先生に師事した日本人留学生は空港まで先生が迎えに来てくれ、入学手続きから住まいまで準備してくれ、何も困らなかったそうです。クライン先生はそうしたことには一切関与せず、代わりに学校の事務局に「私が受け入れた学生だからしっかり手続きをしてほしい」と強い口調で言うような人でした。事務局の担当者は先生の性格を知っており、思いのほか入学手続きはスムーズに済みました。各国から多くの留学生を迎える事務局はいつも大変そうでした。

(聞き書き・斉藤茂明)


2025年11月22日号掲載

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