12 一茶暦
- 5月30日
- 読了時間: 3分
季節に合った句と板画で 44年続け制作の大きな柱

俳人小林一茶の句と板画の挿絵で構成した「一茶暦」は1982年版から作り続けて44年たちます。染色工芸家で人間国宝の故・芹沢銈介さんは亡くなるまで38年間「芹沢カレンダー」を作りました。それを上回る「一茶暦」はギネス記録ものでしょうか。芹沢さんには弟子がいましたが僕は1人作業。といっても、日曜日の日付を赤く色付けするのは息子に手伝わせましたけど。
「郷土の本・さらしなはにしな」の執筆陣でお世話になっていた森嶋稔さん(元県考古学会長)や矢羽勝幸さん(一茶研究家)、福沢武一さん(方言研究家)らに〝お歳暮〟のつもりで作ったのがきっかけです。1カ月ごとに1枚ずつの計12枚の暦で、一茶の句とそれに関係する挿絵を板画で彫りました。1月は「犬の子やかくれんぼする門の松」という句に、門松に姿を隠しているような白い犬の板画を添えました。
刷るのは結構大変な作業です。83年版からは2カ月ごと6枚の暦にして確か1部3000円で販売しました。森嶋さんや屋代西沢書店が宣伝してくれて20~30部ほど売れました。
紙は、茨城県の西ノ内紙という手すきの和紙を使っています。鎌倉に住んでいた頃、初めて売れた版画もこの紙でした。水戸藩の御料紙で、少し黄みがかっており、墨がきれいに出るんです。飯山市の内山和紙も何度も訪ねてみました。本当は地元の紙を使えばいいとは思うのですが、慣れもあって40年以上使っています。
そもそも一茶との出合いは、1975(昭和50)年、母の看病のために帰郷した頃にさかのぼります。ちょうど、矢羽さんが編集者の一人として携わった「一茶全集」が信濃毎日新聞社から刊行され始めた時期です。「ああ、一茶の句にはこんなものもあるんだ」と。僕の一茶全集は今ではもう、ぼろぼろですよ。「来年の一茶暦にはどの句を載せようかな」と全集を広げては気に入った句を探し出すわけですから、矢羽さんの次くらいに読んでいるんじゃないかな。
もっと昔まで記憶をたどると、小学3年生の頃、冬休みの学習帳の付録として一茶のかるたが付いていたことがありました。母は「いっちゃさん」と呼んでいて、「この句は胸に落ちる」などと言っていたことを覚えています。僕は冬休みが終わると一茶のことなど忘れていましたけれどね。
ここ数年は、だいたい100部ぐらい一茶暦を作っています。ピークの時は180部ぐらいでしたか。ほぼ半分は岡山県倉敷市の民芸店が引き取ってくれています。昨年末は1週間ぐらい体調不良が続いたために、「年内にお届けできないかな」と心配したことを思い出します。
暦作りは、夏頃に句を選ぶところから始まります。一茶全集をひっくり返して、季節に合った句を探す。そして、絵をどうするか考えます。絵が決まればあとはもう制作作業に精を出します。矢羽さんが全集で「この句はこういう句ですよ」と説明していても、その通りの絵柄にはしたくない。僕なりに句を読んで、句の説明にとどまらない絵を描きたいと思っている。
40年以上、毎年6枚ずつ計240点以上の一茶暦板画を彫ってきましたが、そのうち「面白いな」と言える絵はまだ100点にもいかないと思います。どういう板画が良いかというと、「五・七・五」の後に「七・七」をつける連句のような着かず離れずの関係性のあるものです。
一茶暦を続けてきて良かったと思うのは、暦にすると確実に一定の部数は売れるので多少の助けになったかなということです。
でも、新聞のインタビュー記事で「一茶に食わしてもらっている」といったことが載ったら、読者から「そういうことは言うもんじゃない」と怒られたこともありました。
いずれにしても一茶暦が僕の板画制作の大きな柱であることに違いはありません。
(聞き書き・吉村英樹)
2026年5月30日号掲載



