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09 武蔵野音大入学

  • 10月25日
  • 読了時間: 3分

新しい世界にわくわく 学園祭での演奏が話題に

友人と(左端が私)。武蔵野音大の校舎は当時としてはとてもおしゃれだった
友人と(左端が私)。武蔵野音大の校舎は当時としてはとてもおしゃれだった

 1969年4月、武蔵野音楽大学クラリネット科に入学しました。これからは新しい世界に行ける—と、わくわくした気分でした。


 高校3年生の夏から約1年半、千葉国夫先生に厳しく鍛えられたおかげで、入学した時点でエチュード(練習曲)はかなり進んでいたので、全学年から選抜される学内オーケストラにも1年生から参加できました。


 1年生の冬、来日中のフランスの著名なクラリネット奏者ジャック・ランスロさんが大学を訪れ、4年生と大学院生に公開レッスンをしました。私が友人とキャンパス内にいた時に千葉先生から突然呼び出されて行ったところ、ランスロさんの作ったエチュードを本人の前で吹くように言われました。


 私は特にプレッシャーを感じることもなく素直に吹いたと思います。吹き終わった後には、通訳を通してランスロさんから「フランスに来たら教えてあげます」と言われました。千葉先生に「どうするのか」と聞かれた私は、「もっと勉強してから考えます」と答えると、先生は「そうだろうな」というような表情でうなずいていました。


 ランスロさんが奏でるフランス流の音色は華麗でおしゃれでしたが、私はドイツの重厚な音色や音楽観に憧れていたので、フランスに行く気にはなりませんでした。もしあの時、フランスに行っていたら、人生は変わっていたかもしれません。


 ランスロさんの武蔵野音大訪問からしばらく後に今度は、当時、NHK交響楽団のクラリネットの首席奏者でスター奏者だった浜中浩一さんが、千葉先生の門下生が集まる会に来ました。一同見渡した後、なぜか私に「自分が一番うまいと思っているだろう」と唐突に言いました。


 浜中さんは千葉先生に師事し、フランスでランスロさんにも師事した人です。ランスロさんの前で私がエチュードを演奏したことを知っていたからかもしれませんが、まだ1年生だった私はびっくりするだけでした。この時は、浜中さんはこの一言だけでしたが、その後何度もお会いする機会があり、いろいろとお話しさせてもらいました。


 小さい頃から、音楽について読んだり書いたりして勉強することはあまりありませんでした。音大では、曲が作られた時代背景や作曲家を取り巻く環境などについて考えるようになり、レコードに付いている解説文から関連する本や資料を図書館で調べるようになりました。また図書館では、当時高価だったレコードを無料でよく聴いていました。


 東京ではクラシック音楽のコンサートが数多く開かれていたことも魅力的でした。安い「学生券」でたくさんのコンサートに行きました。海外の著名な奏者たちと私と同じ曲でもどう違いがあるのかを聴き比べ、その演奏に圧倒されることばかりでした。ソロ、室内楽の両面において、その後の自分の演奏に関わる大きな学びがありました。


 1年生の秋の学園祭で、上級生がプロの指揮者を招いて、ストラビンスキーの「兵士の物語」を有志7人編成で演奏しました。1年生で参加したのは私ただ一人でした。「兵士の物語」はロシアの民話が基になっていて、コントラバスなどによる七重奏は技術的にとても難しい上、曲の途中で語りが入るなど当時としてはかなり革新的な曲でした。「兵士の物語」はそれまで学内で演奏されたことがなく、学園祭での演奏は話題になりました。

(聞き書き・斉藤茂明)


2025年10月25日号掲載

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