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01 棟方志功に引かれて

  • 1 日前
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板画の作品と思想に学び 「杏の里板画館」開き31年

「杏の里板画館」隣の「板遊舎」で
「杏の里板画館」隣の「板遊舎」で

 版画を彫り始めて51年、生まれ育った千曲市森に「杏の里板画(ばんが)館」を開館して31年になります。まったくの我流で、専門的に絵を学んだこともありません。あれもやり、これもやりの人生でした。


 父は絵がうまい人でした。母校の小学校には長いこと父の絵が展示されていたと聞きました。姉が中学生の時にすごろくを作りたいといったら父が絵を描いてくれて、「ああ、親父うまいんだな」と子ども心に思ったことがあります。


 僕も絵が好きでした。中学1、2年の時の先生がよく絵を見てくれました。絵を見てほしくて、「クロッキー帳」(速写画を描くための薄い紙を束ねたスケッチブック状のノート)を持って出かけてはいろいろ描きました。先生から油絵をやらないかと言われたことがありましたが、家が貧乏だから油絵具なんて買えません。水彩画は友達の水彩絵の具を使って描いていました。その代わり友達の絵を描いてあげていました。ランプの灯油と水彩絵の具で油絵みたいに描いてみたことがあります。ところが、石油臭くてまいりました。その絵は風呂のたき付けになりました。


 屋代高校では美術を選択し受講しました。担任は青木応静という、ここら辺では有名な先生でした。最初の授業は、利き腕でない方の手を描くという課題が出ました。教室を回って生徒の絵を見ていた先生が僕のところで立ち止まり「授業が終わったら美術室に来なさい」と言うのです。なんだろうと美術室に行くと、「美術班に入る気はないか」と誘われました。


 家に帰って親父に聞くと「絵なんてものは一生食うに困らない家の息子がやるものだ」と言われました。梅原龍三郎だとか小山敬三を見てみろと…。


 それで、青木先生には断りました。それからは美術の授業中、野球部のキャプテンになった松代の友達と2人でクロッキー帳を持って学校周辺を歩き回っていました。僕たち2人が全然絵を提出しないものだから、青木先生はおかしいと思って僕たちの後をつけてきましてね。でもそんなに怒られなかった。「絵を描く場所を探していたのだろう」みたいな感じでした。


 冬になって授業で版画を彫ったんです。はがきぐらいのサイズに2点ほど。そしたら青木先生が僕の版画を見て「これ棟方志功に似ているな」と言ったんです。でもその頃の僕は「棟方」なんて知りません。図書館にある美術全集にも棟方なんて載っていません。まだ有名になる前のことで棟方が文化勲章を受章したのはそれから12年後でした。


 棟方志功は「日本板画院」の創設者です。私がやっているのも「板画」で、「版画と板画は何が違うのか」とよく聞かれます。


 日本で「版画」が普及し始めたのは明治末。上田市ゆかりの芸術家の山本鼎(かなえ)がヨーロッパに留学して版画を学んで近代版画の普及と確立に努めました。


 一方、棟方は、木という素材にこだわり、「これからは板画にする」と宣言したんです。ちょうど僕の生まれた頃です。


 僕の杏の里板画館は「ばんがかん」ですが、日本板画院の正式な読み方は「はんがいん」です。板画院は当初「はんが」でも「ばんが」でもいいという姿勢だったのですが、2013年に一般社団法人化する際に読み方を統一しなければいけないということで「はんがいん」に決めたんです。


 僕はやっぱり棟方の作品に一番引かれるし、人間としても引かれます。棟方の板画の作品と思想に学び進んで行こうと、自分の作品も「板画」と呼んでいるのです。


(聞き書き・吉村英樹)


杏の里板画館は3月31日(火)まで冬季休館中。


森貘郎さんの歩み

1942(昭和17)柳澤雲平・菊路(きくじ)夫妻の三男として埴科郡森村(現千曲市)にて誕生。本名三雄

1962(37)1年の留年を経て屋代東高校(現屋代高校)を卒業。上京して新聞配達、印刷工などを経験

1973(48)鎌倉市に移住。油絵を描き始める

1974(49)句集「赤土抄」を木版に彫り16部刷行。このころから木版画を彫り始める

1975(50)母の看病のため帰郷

1976(51)友人らと「郷土の本・はにしなさらしな」を創刊。表紙、カットを木版画で彫る

1977(52)西澤美恵子さんと結婚。長女、長男、次男をもうける

1980(55)第30回日本板画院展に「六地蔵」初入選。「更埴郷土を知る会」を発会。「ちょうま」刊行

1981(56)「一茶暦」を初めて彫る。以後毎年作り続ける。森将軍塚保存運動に取り組む

1985(60)「杏まつり手づくり展」を開催。以後毎年開く

1986(61)日本板画院理事に推され、長野支部を発会、支部長を務める

1990(平成2)「加舎白雄『人恋抄』」出版

1995(7)「杏の里板画館」開館

1998(10)「森貘郎板画集」出版

2000(12)「森貘郎板画○○○展」を開催

2004(16)千曲市議会解散運動。千曲市議に当選。産直泥つきマガジン「たあくらたあ」創刊。編集委員を務める

2005(17)「オラホの憲法9条」刊行

2008(20)「一茶『おらが春』板画巻」出版

2009(21)「山頭火の善光寺みち展」開催

2013(25)姨捨文学講座開講

2015(27)「善光寺大本願『萬板佛』展」開催

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