top of page

来年3月閉館する「ひとミュージアム上野誠版画館」 田島隆館長に聞く

  • 8月9日
  • 読了時間: 3分

「人と人のつながり」を大切に25年間運営

「焼けた五重塔」の前で上野作品との出合いを懐かしそうに話す田島さん
「焼けた五重塔」の前で上野作品との出合いを懐かしそうに話す田島さん
原爆被害を描いた上野作品収蔵・展示

「平和を願う」「人権」を特徴に掲げ

 川中島町今井の「ひとミュージアム上野誠版画館」が来年3月閉館する。地元出身の木版画家上野誠(旧姓内村 1909~80年)の作品を収蔵・展示する同館を25年間にわたって運営し、上野の芸術を多くの人に伝えてきた館長の田島隆さん(86)に閉館への思いを聞いた。


 上野は、旧制長野中学校(現長野高校)から東京美術学校(現東京芸術大)に進んだが、学生運動で退学処分を受け、働きながら木版画家として活動。「ケロイド症者の原水爆戦防止の訴え」「ヒロシマ三部作」や、白い鳩を描いた作品で知られる。「生活版画」といわれる、身近な人たちを描いた作品も多く残した。


 田島さんは、1960年代初め、雑誌のグラビアに載った「焼けた五重塔」という作品を見て、焼けている五重塔が大変美しく見え、感動したのが上野の芸術との出合い。


 それから20年以上たって上野が自身と同じ川中島町の出身と知り、86年、県教育会館とロートレック画廊(東之門町、後に閉店)で「上野誠木版画展」を開く。上野の長男の遒(しゅう)さん(86)=千葉県=は展示用に作品を80点ほど送った。これをきっかけに遒さんと親交を深め、のちに遒さんから上野作品を託される。


 思い悩み、友人、知人らに相談もしたが、美術館を造ろうと妻の寧子さん(85)と2人で決めた。

来年3月閉館する「ひとミュージアム上野誠版画館」
来年3月閉館する「ひとミュージアム上野誠版画館」

 小学校教諭を務めた自身の退職金と有志の寄付金を建設費用に充てて、2001年、自宅敷地内に版画館をオープンした。


 同館には上野誠作品を大小合わせて200点ほどと、ドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツ(1867~1945年)の作品約20点などを収蔵する。


 年間入館者数延べ500人ほどと少ない中、運営に当たって大切にしてきたのは「作品を通じて築かれる「人と人のつながり」だ。「ひとミュージアム」と名付けたのも、そのような思いが込められている。


 「原爆の絵が上野誠の作品の中心。上野誠は戦争に反対していたと思います。版画館の特徴の一つは『平和を願う』であり、もう一つは、人と人の結びつきや人権を大事にするということ」


 「戦争以外では、平和の象徴としての白鳩、老人とか子どもとか女性とか弱い人たちをテーマにした絵も多い。そこに上野さんの人間性が表れていると思います」


 閉館を決めた理由は自身の年齢だ。開館から25年たち、「ひとつの節目になるから、それを節目にしてやめようかと」。


 上野誠のめいの田辺佾(いつ)子さん(83)=川中島町=は、「これからも多くの人に作品を見てほしいと願っています」。作品の多くは、県立美術館に収蔵されることが決まったという。

記事・写真 竹内章世


2025年8月9日号フロント

 © weekly-nagano  All rights reserved.

bottom of page