古地図で探索、「西鶴賀町」のはじまり
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古地図で探索、「西鶴賀町」のはじまり

碁盤目の街路残る東鶴賀

参加者を案内する滝沢さん(右から2人目)。「新地ロード」の起点だった移転前の秋葉神社があった権堂アーケード通りの角で

 9月18日のまち歩きのテーマは「古地図で探索、『西鶴賀町』のはじまり」。同町に本社があるつばめタクシー社長の滝沢洋将さん(45)が案内人を務めた。

 滝沢さんは静岡県富士宮市出身で、結婚を機に長野市に移住して15年。長野の町の歴史について地域の人から話を聞いたり、「長野市誌」などの書物で調べたりしているといい、詳しい。この日は集合場所の大門町から東町、権堂町、西鶴賀町、東鶴賀町へと歩きながら、町の歴史を探訪した。

 滝沢さんが参加者に配った1878(明治11)年の長野町の地図。街の中央を善光寺まで北国街道(今の中央通り)が貫いているのは現代と同じだが、街の姿はだいぶ違う。

 まず、市街地は権堂より北の善光寺周辺に集中。今の市立長野図書館の辺りに師範学校が、信大教育学部の辺りに県庁がある。

 権堂は、現在長野相生座・ロキシーがある辺りより東側は一面の田んぼ。そこから東に一本道が延び、その先に鶴賀遊郭がある。遊郭は同年に開業した。


西鶴賀町を歩く参加者

 遊郭ができる前、権堂には(娼)(しょう)(妓)(ぎ)が男性の相手をする水茶屋が並んでいた。鶴賀遊郭は、娼妓がいる遊郭と(芸)(げい)(妓)(ぎ)の権堂とを分けるため、県による公許の遊郭として田んぼの中に造られた。塀で囲われた四角い街に多い時で48軒の妓楼があった。これが今も碁盤目のような街路が残る東鶴賀町だ。

 遊郭に至る一本道「新地ロード」沿いには、明治後半に遊郭の出入り業者や飲食店が軒を連ねるように。これが西鶴賀町になった。1926(大正15)年の長野電鉄権堂駅開業で権堂が長野の町の中心になり、戦後には近くに警察署や長野日本無線など官庁や企業ができたため、商店街はさらに発展したという。

 つばめタクシーは58(昭和33)年、滝沢伝蔵氏らが西鶴賀町に社屋を置いて始めた。その前は新諏訪で木材などの貨物運送に携わっていたというが、「お客を運ぶ仕事がしたい」と創業。社名は、当時最も速かった国鉄の「特急つばめ号」にあやかって付けたそうだ。

 参加者は滝沢さんについて、昭和レトロな街並みを見ながら西鶴賀町を進み、遊郭があった時代のものとされる建物が残る東鶴賀町まで歩いた。滝沢さんは「気になる所があったら歴史を深掘りしてまた歩いてみてほしい」と話した。

 権堂では、旧イトーヨーカドー跡に綿半スーパーセンターの開店準備が進められていた(9月30日に開店)。まさに今、町の歴史の転換点に立ち会っていることを思った。

 竹内大介

 

10月のながの門前まちあるき

 19日(水)14:00〜16:00、「もんぜん、不動産の世界」。案内人は長野市役所まちづくり課職員の長崎美桜さん。

 定員は10人。参加費1000円(学生500円)。

(申)(問)まちくらしたてもの案内所☎︎090・1553・1485(9:00〜18:00)


2022年10月8日号掲載

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