でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男
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長野千石劇場(☎︎226・7665)で公開中

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
いじめは真実か冤罪か 教師と親の法廷対決
これは真実に基づく訴えなのか、それともでっちあげによる冤罪なのか。「でっちあげ 〜殺人教師と呼ばれた男」は、「教師による児童へのいじめ」と認定した福岡市教委が教師を処分し、その後裁判になった事件を題材に映画化した社会派ドラマだ。
教師の藪下(綾野剛)は、担任する小学4年の児童へのいじめと暴力で突然訴えられる。両親側は大弁護団を仕立て、裁判で証言台に立った母親の律子(柴咲コウ)の、息子を守ろうとする涙ながらの訴えに世間の同情が集まる。
「死に方教えたろうか」と児童を恫喝した「殺人教師」と報道する週刊誌もあり、藪下の家族まで誹謗中傷にさらされてしまう。裁判は、藪下が体罰や差別発言の事実を否定し、混乱を極めてゆく。
メディアによるセンセーショナルな報道、ネットの容赦ない書き込み。正義感を振り回す人々の悪意の連鎖がつくり出す藪下のイメージは、教師の仮面をかぶった邪悪な存在だ。
雨の日の夜の家庭訪問から、この事件は始まる。律子の証言から再現された子どもへのいじめと、藪下が供述する出来事が再現されるが、同じせりふでありながら、言葉のニュアンスで全く別のものに入れ替わる。視点を変えただけで、一つの事件が二つの局面を持ち、見る者を惑わしてゆく。被告と原告として法廷で争う藪下と律子を演じた綾野剛と柴咲コウの、まるで別人を見るかのような鬼気迫る演技対決がすごい。
教育現場での差別や体罰、モンスターペアレントと呼ばれる過激な保護者の行動。責任逃れをする学校や教育委員会。ノンフィクション作家福田ますみのルポルタージュ「でっちあげ」を原作に、バイオレンスな作品で知られる三池崇史監督が、ダークな映像で人間の心の狂気を映し出す。
つくり出されたうその構造が冤罪(えんざい)を生む。裁判で冤罪を晴らすのは長い時間がかかり容易でないことは、実際の事例で常々感じる。何が真実で何がうそか。もし自分が陪審員として裁判に臨んだらどんな結論をくだすのか。もし自分が訴えられる立場になったらと、この映画が実話であるだけに、じわじわと恐怖が湧いてくる。
(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
2025年6月28日号掲載