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  • 5 日前
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中山道の古道歩き楽しむ

傍らにタチツボスミレが咲く古道を歩く
傍らにタチツボスミレが咲く古道を歩く

 大型連休前半の4月末、木曽まで足を延ばし、鳥居峠の古道歩きを楽しんだ。奈良井宿と(藪)(やぶ)(原)(はら)宿を結ぶ峠越えは江戸時代に中山道の難所といわれたが、史跡も多く今は外国人客も大勢訪れるハイキングコースになっている。


 峠からは、太平洋へ注ぐ木曽川と、日本海へ向かう奈良井川の分水嶺上にある垰山(1416メートル)も往復した。 


 山仲間4人が2台の車に分乗し、7時半過ぎに長野インターを出発。上信越道から長野道を走り、塩尻インターで降り国道19号で木曽谷に入る。奈良井の木製の太鼓橋「木曽の大橋」脇の駐車場に1台を置き、もう1台に4人が乗って藪原側の登山口へ向かう。


 新鳥居トンネルを抜けるとすぐ右折し、木曽北消防署前の空き地に駐車。スタート地点の消防署横には立派な案内看板や説明板がある。木曽路は県内初の「日本遺産」に認定されている。


峠名の由来となった御嶽神社の大鳥居
峠名の由来となった御嶽神社の大鳥居

 カラマツ林の山道を少し歩くと石畳の道に。ここには丸い河原石が敷き詰めてあり、後から整備したようだ。再び土の道になると、傍らには赤紫色のタチツボスミレの群落が。


 やがて高台の森林測候所跡地に。今は広場にベンチが置かれ、立派なハウスもある休憩所になっている。

 ここを下ると、丸山公園へ。木曽路を詠んだ芭蕉の句碑や歌人の碑、大きな石碑が幾つも立っている。


 峠路に戻り、左手の急な階段を登り詰めると御嶽神社に。霊峰・御嶽の山頂にあるような石像や石碑、石灯籠などが並ぶ。江戸からやって来た旅人は、ここで初めて御嶽山を拝むことができた。


 神社を下ると、峠側に見上げるような石の大鳥居が立つ。これが峠名の由来となったという。


江戸時代の面影を残す奈良井宿の家並み
江戸時代の面影を残す奈良井宿の家並み

 峠の手前にはトチの巨木の群生が目を引く。その先を右手へ入り、垰山を目指す。山頂一帯にはテレビのアンテナや無線局などがあり、広い管理道路を歩く。


 林に囲まれた山頂直下の鉄塔の下で昼食に。すぐ前の通信施設の脇から白い中央アルプスと青い水をたたえた奈良井ダム湖が見える。


 尾根の西側は木曽川の源流域、東側は奈良井川の流域となり、分水嶺の尾根上にいることが分かった。


 同じ道を下り、峠に出ると少し先に休憩所になっている峰の茶屋が。ここからは道幅が狭まり、坂道をどんどん下る。途中でイタリアから来た男女のバックパッカーが大股で追い越して行った。


 中間点の中の茶屋を過ぎ、石畳を下りきった所が奈良井宿だ。江戸時代にタイムスリップしたような家並みを歩き、車を置いてあった木曽の大橋へ。


 帰路は木曽町まで南下し、木曽駒高原の国民宿舎で入浴。来た道と同じルートで長野へ。風が強く寒い日だったが、見どころいっぱいの3時間余のトレッキングだった。

(横内房寿)


2025年5月17日号掲載

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