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25 「ドレメ」院長として

  • 2025年7月12日
  • 読了時間: 3分

ドレメ精神継承のために 創設者の衣装作品を保存

日本ファッション教育振興会開催の服飾教育顕彰式で「服飾教育功労賞」を受賞する私(2014年2月)
日本ファッション教育振興会開催の服飾教育顕彰式で「服飾教育功労賞」を受賞する私(2014年2月)

 2011年4月、私は杉野学園ドレスメーカー学院(通称ドレメ)院長に着任しました。母と私、親子2代の母校である同学院は、日本の女性がまだ着物を当たり前としていた時代に創設され、戦争を乗り越え、その後も日本の服飾教育をけん引した、まさに日本の服飾史をつくってきた場所です。専門学校「ドレメ」を拠点に、大学、幼稚園も有し、全体では約1200人が今学んでいます。


 私が院長を務めたドレスメーカー学院は、その中心的な歴史を持つ創設者杉野芳子先生(1892〜1978年)の教えが今も残る場所。その4代目院長となった訳ですから、その仕事は、ありとあらゆることに及びました。内部の教師陣や事務局スタッフをまとめ、新たなことにチャレンジしていくこと。また、ドレメの顔として外部の方とのつながりをつくることなど。そして何より、私のミッションは、時代の変化とともに減少していくファッション分野の学生数を食い止め、伸ばしていくことでした。そのような中、私が最初に提案させていただいたのは、創設者の芳子先生が残した作品保存とアーカイブのデジタル化でした。


 芳子先生がこの世を去られて30年余。教育者として、またデザイナーとして毎年発表し続けたコレクション作品はとても貴重で、今後ドレメの精神を継承し続けるためにも「美」のこだわりを追求した衣装作品の保存が重要と考えました。


 先生が残された作品は大変な量でした。これらは杉野学園にとっては貴重な宝物。「今やらなければ…」と取り掛かった作業は皆の協力の下、丸2年を要しました。同時に創立から今日に至るまで、一人の女性として道なき道を切り開いてきた「杉野芳子」の生き方を映像にまとめ、校内外でも発信するなど、改めて今後もドレメが大切にすべきものを皆で共有していきました。そのほか、全国の系列校との連携強化や在校生、卒業生の活動の発信、企業との連携など、できることはなんでも進めました。


ドレメのスタッフと杉野芳子記念館の桜の木の下で(手前中央が私)
ドレメのスタッフと杉野芳子記念館の桜の木の下で(手前中央が私)

 そんな中、院長職は当初、週に3日ならば—とお引き受けし、長野と東京を週の半々ずつ往復していました。何よりドレメの仕事を優先させたことでそれは次第に難しくなっていきました。結果、岡学園と「エコマコ」に割く時間は、合間を縫って見つけるしかなく、スタッフは私と話をする時間を取るのに苦労したそうです。さすがに三つの責任ある仕事を掛け持ちしながら長野と東京を行き来する日々は、朝目が覚めた時、私は今どこにいるのか、今日はどの仕事なのか—全く分からなくなるような目まぐるしい毎日でした。とは言え、院長として、スタッフたちと同じ目標に向かってまい進する日々は、とてもやりがいのある仕事でした。


 そしてドレメの院長になって3年が過ぎた頃でした。「お役に立ってきなさい」と私の背中を押して送り出してくれた母が、ある時「戻って来られないのかしら」と相談してきたのです。


 母としては93歳になっても私の留守を守る気持ちでやってきてくれたのですが、母の体調や、スタッフとの連携など、自分の思うような状況ではなくなっていくのが苦しかったようです。母の心情を考えると、私は今自分の足元を見極めなかったら後悔することになるだろうと思いました。


 一度お引き受けした以上は責任ある立場。まして「石の上にも3年」、やっと院長としてかたちにしてきたことの結果が見えてきた時でした。しかし原点である岡学園、そして母と私の今後も考えた結果、思いを託せる後任を探そうと心に決めたのです。

(聞き書き・中村英美)


2025年7月12日号掲載

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