03 山森先生

「ありのまま」を受け入れ 反発心溶かした「温かさ」

通っていた小学校で。前列左から4人目、黒い服が私

 自分にとってかけがえのないと断言できるような人との出会いはそうそうないと思います。私の場合、「自分の人生を変えた」と思える人との出会いは、早いほうでしょうか。小学2年生の初めごろ、その人は、山森綱江先生です。

 私は、旧牟礼村(現飯綱町)の牟礼西小学校に入学しました。1年生にとって学校は楽しい場所でしょうが、私はそうではありませんでした。学校には特別支援学級はなく、知的障害のある近所の幼なじみと同じクラスになったのですが、じっと座っていることが苦手だった彼が、入学直後から先生にひどい体罰を受けていました。今では信じられないことですが、はたきでたたかれたり、引きずり回されたり。私は大切な友達に暴力をふるう先生に憤慨し、反抗しました。

 私は当時から感受性が強かったと思います。先生が怒ると、友達と2人で教室を飛び出して中庭の木の上へ。木の下で「下りろ、下りろ」と言う級友や先生に、つばやおしっこをかけて抵抗したこともあります。こんなことが続き、学校に行くのが嫌で休みがちになりました。親には学校に行けと怒られ、学校では先生に怒られ、私の気持ちはすさんでいきました。

 2年生に進級する直前、その先生は学校からいなくなりました。体罰が表沙汰になったためと後に聞きました。

 私の新しいクラス担任になったのが、若い女性の山森先生でした。

 私と友達は、相も変わらず木の上に登っていました。前の先生は、給食の始まる時間になると、「下りてこなくていいよ。給食は食べさせないから」としか言いませんでしたが、山森先生は違いました。怒られると身構えていた私たちに「君たちが大好きなカレーだよ。一緒に食べよう。食べ終わったら、また木に登ればいいよ」と言ってくれたのです。思いがけない言葉に、心の氷が溶けるようでした。

 この日から私たちの抵抗は一切なくなりました。山森先生に会いたくて、学校にも毎日通うようになりました。山森先生は、幼なじみの頭をいつも「かわいいね」となでてくれました。優秀な姉と比べられて、いじけることも多かった私でしたが、「将来あなたはたいした人になる。人の役に立てる人になれるといいね」と褒めてくれました。

 翌年、先生は長野市に転任されました。先生と一緒に過ごしたのは短い間でしたが、大人への怒りと不信感でいっぱいだった私の気持ちが変わったのは先生のおかげです。

 1981(昭和56)年、南千歳に「SALON ’d ALPHA(アルファ)」1号店を開店することになった時、あいさつに伺いました。山森先生は、その1年前、ご自身の教育理念にのっとり、長野大橋保育園(青木島町)を開設されました。「あなたのことはよく覚えているよ」とおっしゃってくれ、大変うれしかったです。

 美容師となり後進を指導する難しさに悩んだ時期、本で「長所伸展法」という手法を知りました。簡単に言うと、その人の短所や欠点を指摘するのではなく、良いところ、得意なところを認めて伸ばしていこうという考え方です。

 子どもたちには皆優しく包み込むように接してくれた山森先生は、この考えと共通していた点があったように感じます。ありのままを受け入れてもらえることがどれほどうれしいことか—。山森先生は、幼い私の心にその思いを刻みこんでくれた恩人です。

 お客さまには学校の先生も多いのですが、今でも「(教師は)素晴らしい職業ですね。私が今、こうしていられるのも…」と、山森先生の話をしています。

聞き書き・村沢由佳


2021年9月25日号掲載