21 クリエーターたち
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21 クリエーターたち

異分野からの刺激や支援 絵画表現への意識深まる

2007年、娘の結婚式の後、着替えて皆で撮影。左から斎藤徹さん、竹沢悦子さん、来日していたダンサーのジャン・サスポータスさん、斎藤美和子さん、私。式では徹さんと竹沢さんが演奏、ジャンさんも飛び入りで踊ってくれました

 デザイナーの斎藤美和子さんは、亡くなった夫小松良和の予備校講師時代の生徒だったことで知り合いました。不安げで自信のなさそうだった少女が、十数年後にフリーのグラフィックデザイナーとして私の銀座での個展会場に現れた時は、そのオーラの強さから、会わなかった時間の中で、彼女がいかに自分を磨いてきたのか分かりました。

 デザインの仕事の中で多くのクリエーターと関わり培った感性で、私の作品を見た彼女の口から「利枝子さんは花というより光を描いているんだね」という言葉が出ました。それまで花の形と自然の形のシンクロによるイメージの広がりを目指していましたが、そのコメントを受けて、自然に宿る生命エネルギーが放つ光が、私の中で最も重要なイメージとなりました。彼女は今に至るまで私の作品の良き理解者であり、案内状やリーフレット、作品集のデザインをお願いしています。

 そして彼女の紹介で出会ったのが、コントラバス奏者の斎藤徹さんです。石川利江さんの協力の下、1995年の游アートステーションでの個展で初めてギャラリーコンサートをしてもらいました。長野市出身の箏演奏家で邦楽作曲家の栗林秀明さんとのインプロビゼーション(即興演奏)で、ギャラリー空間にさまざまな音の粒が弾け散る、エキサイティングなコンサートでした。徹さんは私と同い年。現代音楽界では有名で、ヨーロッパやアジア各地で音楽活動をし、現代アートと同様に既成の価値観にとらわれない音楽の新しい表現を追求していました。

 東京に彼のコンサートを聴きに行ったり、さまざまな個展会場で幾度もコンサートをしてもらったりしました。彼のオリジナル曲の「ストーンアウト」の録音に立ち会い、私が曲のイメージで描いた絵を使って、斎藤美和子さんがCDジャケットをデザインしました。ストーンアウトの録音に参加していた箏奏者の竹沢悦子さんとも知り合い、今も交流しています。

 音楽家たちはセッションして作品を作っていきます。アトリエで一人で制作している私にとって、クリエーティブな交流のあり方を体験したり、ライブハウスで繰り広げられる音楽家の世界にふれて大いに刺激を受けたりしました。徹さんは、さまざまな障害のある人たちとのコラボレーションにも熱心で、理想の生き方と表現のあり方の矛盾を許さない厳しさを持っていました。私は、彼の素晴らしい音楽とその生き方をいつも尊敬していました。残念ながら徹さんは2019年に亡くなりました。

 その場の空気を一瞬で変えてしまい、ストレートに人の心に訴えかけてくる音楽の力に比べ、絵画の刺激は間接的に感じられました。しかし、一瞬で消えてしまう音の世界に生きている人にとっては、永遠に残る絵画表現に対する憧れやリスペクトがあることを知り、私の絵画表現に対する意識が深まりました。

 そして、作品をさまざまな媒体に印刷するために撮影をお願いしたカメラマンにも大変お世話になりました。吉野孝さんから紹介された近藤克則さんには、約束した撮影日までに作品が仕上がらず、予定を何度もずらしてもらいましたが、いつも気持ちよく撮影してくださり、作品の資料化についてもアドバイスをもらいました。女性カメラマンの増尾久仁美さんにも長年にわたり作品撮影をお願いし、撮影の合間にいろいろな表現について会話をしました。年下の増尾さんも数年前に他界されました。

 多くの異ジャンルのクリエーターからの刺激や支援の上に、現在の私の作品があるのです。

 聞き書き・松井明子


2023年10月28日号掲載

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