26 「シンビズム4」展
top of page

26 「シンビズム4」展

他界した夫の作品を展示 36年の時を経て増す輝き

小松良和の作品が展示された豊科近代美術館

 2021年、上田市立美術館と安曇野市豊科近代美術館の2会場で行われた「シンビズム4」展は、私の中で特別な意味を持った展覧会でした。

 シンビズムは県の文化事業で、県内にある別々の美術館に所属する学芸員が共同で企画し、県内ゆかりの現代作家を紹介するという国内でも例を見ない活動であり展覧会です。スタート時は若手作家の発掘と支援が主でしたが、回を重ねる中でベテラン作家も取り上げるようになり、4回目となるシンビズム4では物故作家の松沢宥(ゆたか)さんが取り上げられるなど、県内の現代美術史としての位置付けという視点も加わりました。取り上げられた作家の中に、私と、亡くなった夫の小松良和が入りました。私は上田市立美術館で、小松は豊科近代美術館と、会場と会期は違いましたが、評価が高く有名な作家と共に展示していただき、大変光栄なことでした。

 無名作家といっていい小松が取り上げられたきっかけは小さな一枚の絵でした。小松の遺作展を開催した辰野美術館の学芸員、赤羽義洋さんが「作品を寄託してくれないか」とおっしゃり、預けた作品の中の一点が常設的に展示されていました。同館を訪れたシンビズムのメンバー、大竹永明さんがその作品に注目し、シンビズムで取り上げたらどうだろうと提案し、会議の結果正式に取り上げていただくことが決まったのです。くしくも、小松が36歳で他界してから36年目のことでした。

 展覧会が始まる前から打ち合わせなどで、小松が一人の作家として取り上げられているのを目にして、あれほど強く作家として認められたいと願っていた小松の思いがようやく実現していく様子に何とも言えない感慨がありました。一方で私はこの機会に、娘に小松の死について話そうと決心しました。小松は、この世界で作家として生きたいという強烈な願望を持っていましたが、かなわず、失意の中で自ら死を選びました。当時娘は2歳になったばかりで、娘には父との記憶はありません。小松の死の事情が成長していく娘の心に大きな影を落とすことを恐れた私は、娘から聞かれた時は「突然死だったんだよね」などと、その都度煙に巻いて本当のことを悟られないように気を付けていました。とはいえ、一生隠し通せるものでもなく、まして私以外の他人から知らされることは絶対避けたいと思っていました。


私の作品が展示された上田市立美術館

 気が付けば娘は既に小松の年齢を追い越し、2人の子どもを育てながら責任ある仕事をする立派な大人になっています。ある夜に、シンビズムに取り上げられることや小松の死について、娘に打ち明けました。すると娘はショックを受けた様子もなく、「もしかしたら、そうじゃないかと思っていた」と、冷静に事実として受け止めてくれました。そして「私だったらお母さんのようにはできなかったと思う。偉かったね」と、対等な大人として褒めてねぎらってくれました。

 そこには、私が思っている以上に豊かな心を持つ一人の女性がいました。静かで深い感動が私に訪れ、人生の大きなハードルを越えたような気持ちでした。それ以来、小松についてオフィシャルに話すときも、必然性があればその死にふれることをいとわなくなりました。

 そして、豊科近代美術館の小松の作品が展示してある部屋に入った時の感動を忘れることができません。小松の作品は年を経て、より輝きを増していました。社会から消えていた作家に情熱を持って光を当ててくれた、シンビズムのメンバーの方々への感謝とリスペクトの気持ちで何度も会場を訪れました。娘も父親の作品に感動していました。亡くなった直後に私が作品集を作っておいたことでこの展示が実現したのだと後になって聞き、志半ばでこの世を去っていった小松のために、自分にできることをしておいて良かったと心から思いました。

 聞き書き・松井明子


2023年12月2日号掲載

bottom of page