top of page


117 信州シルクロード9 生糸と茶と
隣接県と巨大な産地構成 中井侍茶摘唄 三国境の 天竜川こえた 風が送るよ 茶の香り グリーンベルトの 段々畑 霧と人情 まろやかに JR飯田線の魅力の一つは秘境駅にある。あれもあります、これもあります—と宣伝するのが普通の観光地なのに、秘境駅には何もない。強いて言えば不便さ...


12 「ヘルプ」の仕事
プロの技術を間近で学ぶ 先輩から「盗む」難しい習練 インターン時代、5カ月かけて店長からシャンプーレッスンの「合格」をもらった私の前に現れた次の試練は、接客する錦織光弘先生や先輩美容師の後ろに立って助手として動く「ヘルプ」の仕事でした。プロの技を間近で学ぶことのできる貴重な...


13 アシスタント時代
「向いていないかも」と不安 お客さまの応援が励みに 1年のインターン期間を終えて国家試験に合格した私は、ようやく美容師としてスタート地点に立つことができました。アシスタントへと立場が変わり後輩もできましたが、急に仕事の内容が変わるわけではありません。相変わらず掃除や洗濯など...


ミツバチの寒さ対策
胸の筋肉を振るわせ 発熱して体温上げる 一年で最も冷え込むこの時期、寒さに耐えるのは人間だけではありません。体温が気温に左右される変温動物の昆虫は驚くような寒さ対策を行っています。 たとえばミツバチは、冬眠せず、冬も巣箱の中で過ごします。外は厳しい寒さですが、巣箱の中の温度...


36 連作に挑戦
俳人の松本たかしは昭和5(1930)年に岐阜県中津川を訪れ、当時行われていた霞(かすみ)網猟を題材に連作五十四句を作りました。まだ霞網が禁止される以前で、小鳥を捕らえて食用に供する「小鳥狩」は秋の季語になっていました。 大霧の霽(は)れかゝるより小鳥狩 松本たかし...


14 海外行きのチャンス
先生の助手としてパリへ モデルの金髪を初ブロー 1974(昭和49)年、美容師1年目の秋に訪れたチャンス。それはパリで開かれる美容業界の国際見本市でデモンストレーションを行うことになった錦織光弘先生が、同行するアシスタントに私を選んでくれたことでした。...


116 信州シルクロード8 川と街道
舟と馬組み合わせた輸送 上伊那地理歴史唱歌 流れてとうとう いさましや 天竜川の 水の音 聳(そび)えてこうこう いさぎよし 両駒ケ岳の 雪の色 帆いっぱいに風を受け、舟が川をさかのぼる。流れに任せ下っていく。鉄道が普及する以前、日本各地で珍しくない光景だった。信州シルクロ...


15 コンクール荒らし
店には内緒で大会に出場 念願の全国優勝を果たす パリで開かれた美容業界の国際見本市に、アシスタントとして同行するチャンスを手に入れたものの、ステージでいきなり金髪のモデルのブローをすることになり、質感の異なる金髪を何度試みても仕上げることができなかった私。この「失態」から立...


123 冠着山
坊城平から絶景の山頂へ 冬晴れとなった昨年12月上旬の平日、山仲間と千曲市の坊城平から冠着山(かむりきやま)(1252メートル)に登った。以前、筑北村側の鳥居平から登ったことがあったが、まったく異なる趣の山歩きを楽しんだ。...


16 「一真」を名乗る
大会出場用につけた名前 美容師としての情熱刻む 突然ですが、私の本名は「一彦」といいます。「一真」は、勤めていた東京・大井町の美容室に隠れて美容コンクール(大会)に出場する際、「本名だと店にばれてしまう」とつけた大会用の名前でした。...


17 原宿で店長に
美容師4年目での抜てき 馬車馬のように働く日々 1970年代半ば、私が働き始めた頃の原宿はおしゃれに敏感な人が集まる街というイメージの一方、八百屋や花屋など昔ながらの個人商店もあり、どこかのんびりとした風情が残っていました。それが数年後、「竹の子族」の流行を機に人の流れが絶...


特集 祈りの道に切り開かれた信州シルクロード
新たな年のスタートに当たり、この先一年の平穏な暮らしを願う。 初詣の人波に加わっていると、いつも感ずることがある。車で電車で徒歩で人それぞれにやって来た四方八方の道—。それは今現在の躍動する場であると同時に、遠い過去につながる道でもある、ということだ。...


チョウの冬の装い
羽の表面にある鱗粉 寒さ対応の鍵を握る 「気象予報ムシ」の連載を始めたきっかけは小学生の娘です。天気の話をしても関心を示さない娘に、虫の話を交えながら話すと、興味をもって聞いてくれ、さらに天気の知識も定着していきました。難しく捉えられがちな気象も、視点を変えて伝えるやり方も...


18 店は大繁盛
街に人を呼ぶ仕掛け学ぶ 技術第一世界大会目指す 原宿の美容室店長となり、無我夢中で働いていた20代半ば、お客さまを介してファッションビル「ラフォーレ原宿」の初代館長を紹介されました。その人は、若者に人気が出始めていた原宿の「ブティック竹の子」の服を流行させて、「大勢の若者を...


35 自分ならではの句を
先日、全国の皆さんから「焼鳥」の俳句が寄せられ、私が選句させていただくという機会がありました。「焼鳥」は四季にわたって食べますが、冬の季語になっています。 人間は、お互いに共通のイメージを待っています。それゆえに他人の俳句も理解できるわけです。ところが、多くの句が寄せられる...


34 晩秋から冬へ
信濃の国の冬は厳しいものです。来たる冬に備えて、冬支度を整えねばなりません。「冬支度」という言葉には「冬」の語が含まれていますが、その意味からして、秋の季語になっています。 逃げてゆく刻を追ひつつ冬支度 大橋敦子 日も短くなり、何をするにも急(せ)かされる思いの募る晩...


19 パリで土下座
世界大会に出場果たすも 競技直前 理不尽な「力」が… 1979年、私はパリで開催される世界大会への出場を決めました。前年のCACF(現・FNCF フランス理美容連盟技術芸術院)主催のアジア大会で入賞し、世界大会に出場する日本代表3人の1人に選ばれたのです。美容師を志した時か...


20 退職、独立へ
新人育成巡り社長と亀裂 自分のやり方で—と決意 パリの世界大会で、日本の大会関係者からの理不尽な要請に従った上、土下座までした私。土下座は高校の野球部時代、「しごき」で散々やらされていたので、それほど抵抗はありませんでした。ただ、この出来事以来、私の中で何かが変わりました。...


21 長野出店を決意
美容界は「地方の時代」へ 長野の街に「伸びしろある」 お金に苦労してきた私ですので、東京で美容師として働き始めてからも自分の店を出すことなど「夢のまた夢だ」と思っていました。独立を決めた当初も、刺激のある東京を離れて長野に帰ることなど頭にありませんでしたが、動き始めると自然...


115 信州シルクロード7 秋葉山常夜灯
立派な装い 心遣い息づき 森の横町 なぜ日が照らぬ 秋葉道者(どうしゃ)の 笠のかげ 秋葉街道を往来する人のにぎわいを、七・七・七・五の26音でうたっている。都々逸などと同様に、庶民の間で広く親しまれ、口ずさまれた俗謡だ。...
bottom of page
