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14 日本ソムリエ協会
「新人」の頃 会長と意気投合 06年マスターソムリエに 1985年、私は日本ソムリエ協会に入会しました。推薦人は田崎真也さんでした。翌86年、協会が初めて開催した欧州ワイナリー見学ツアーに、私は「面白そう。行ってみよう」と軽い気持ちで参加しました。...


テントウムシの夏眠
草の茂みや葉の裏でじっと 呼吸量は著しく低下 観測史上最速の梅雨明けとなった今年、長い夏にお疲れの人もいると思います。 昆虫にも暑さが苦手なものがいて、中には夏の間「かみん」をする虫もいます。「仮眠」ではなく「夏眠」です。暑さに耐えるため、草の茂みや葉の裏でじっと過ごすので...


13 高山村の活性化
ワインブドウの「聖地」へ 村と二人三脚で栽培普及 2004年ころ、初当選から間もない高山村の久保田勝士村長が、ある会合で私に「村にたくさんある遊休農地でワインブドウを栽培し、原産地呼称管理制度で認定されるようなワインを造って村を活性化させたい」と力強く夢を語りました。その情...


12 原産地呼称管理制度
県が長野ワインを「認定」 ブランド力・認知度アップ 2000年の県知事選で当選した田中康夫知事は、フランスの制度を手本に「長野県原産地呼称管理制度(NAC)」を提唱しました。長野県で生産・製造され、味と品質の優れた農産物と加工品のブランド化を強化し、消費者の信頼を高めるのが...


11 農業系ソムリエ
「農家」出身 生産現場を熟知 商品開発では必ず現場へ 私は、自らを「農業系ソムリエ」と名乗っています。実家は、お酒を取り扱う「高野総本店」を営むだけでなく、米や麦を作ったり、梅や栗を栽培し、市場へ出荷したりする「農家」であり、私自身、子どもの頃から農作業の手伝いをしていまし...


物見の岩から長野市を見る
岩の上からの眺望楽しむ 6月18日のまち歩きは「物見の岩から長野市を見る」。善光寺南側の門前町を歩くことが多いこの企画では珍しく、大峰山の中腹にある「謙信物見の岩」を目的地に歩いた。 案内人はトレイルランニングが趣味という会社員の三沢幸男さん(48)。「甘い物が大好き」でも...


10 ソムリエコンテスト出場
日本のトップと同じ舞台 経験を積み芽生えた自信 私の構想は、取り扱いを始めた安曇野ワインを全国区にしたいと、どんどん膨らんでいきました。そして、1983年ごろ、東京・銀座の百貨店「三越」へと乗り込みます。3日間のワインフェアに出店を許可され、3タイプの安曇野ワインを持ち込み...


127 笠ケ岳
短時間で登れる階段の山 志賀高原へネマガリダケのタケノコ採りに行った足で、6月中旬の日曜日に学生時代の仲間3人で笠ケ岳(2076メートル)に登った。長野市内から東方の山並みを望むと、横手山(2305メートル)の左手に見える形のよい三角すいの山だ。...


9 ワインを楽しむ会
初心者からプロまで参加 長野のワイン文化高める 1980年代初頭の日本で、ワインが酒類の中で占める割合はわずか1、2%でした。私は将来ワインが伸びると信じていたものの、あまりにもわずかなので残念で仕方ありませんでした。そこで私はまずワインを知ってもらうことでファンを増やそう...


8 玉井先生の講演に同行
農家にワインの魅力伝え 「もっと広めたい」思い強く 高野総本店が、ワインの取り扱いに力を入れようとした矢先の1983年、旧三郷村(現・安曇野市)に安曇野ワインが立ち上がりました。地元農家が集まって設立した珍しい形態で、これを後押ししたのが、信州大学で農学を教え農村における地...


雨に強いチョウ
その秘密は羽の鱗粉 驚きの雨を弾く強さ 雨の日は外出が億劫になりますが、昆虫も雨が降ると葉の裏などにじっと身を潜めます。中には雨にぬれても平気な虫もいて、チョウもその一つです。 なぜチョウは雨に強いのか。その秘密は羽についている「鱗粉」にあります。チョウを触ったとき、手に粉...


7 なぜ「ワイン」か
小学生の時ディナー体験 紳士的もてなし衝撃的 南信を中心に県内を精力的に営業活動した約10年間。その後半は、兼務していた常務として、父でもある社長から少しずつ重要な仕事を任されるようになりました。 そして1985年、34歳の時、会長になった父に代わり、7代目社長に就きました...


6 営業10年
南信の酒屋さん新規開拓 タフな経験「度胸」「話術」培う 高野総本店で、3年ほど配送を担当し会社の伝票などをコンピューター管理するためのシステム構築に携わった後、30歳の頃に営業担当になりました。前任者の叔父から長野県の南半分と新潟の上越エリアを引き継ぐとともに、主に南信での...


5 高野総本店に入る
日本酒のことかなり勉強 「将来的にはワイン」とも 大学を卒業するとすぐに家業の高野総本店に入りました。大学時代から長期の休みには帰郷し、仕事を手伝っていたので戸惑うことなく会社に溶け込め、会社の先輩も〝7代目〟の私を「豊さん」と呼んで歓迎してくれました。...


126 飯縄山(小川村)
北ア見て社殿立つ山頂へ 五月晴れとなった5月中旬の平日、長野県カルチャーセンター「里山講座」の講師Nさんと、来月出かける長野市中条の虫倉山(1378メートル)の下見に行き、その足で小川村の飯縄山(いいづなやま)(1203メートル)に登った。...


4 大学時代
勉学・バンド…のめり込む 凝り性 プロ並みに上達も 勉強嫌いの高校時代でしたが、進学クラスにいたので大学に進学する気持ちはありました。両親の勧めもあり、推薦で千葉商科大学へ進みました。 大学のサークルはマンドリン部でパートリーダーを務めていました。しかし、2年生になって体...


ハチの暑さ対策
巣の表面に「打ち水」 翅使い巣に涼しい風 一年で最も過ごしやすい今の時期ですが、時折夏のような暑さが顔を出します。 暑さが苦手なのは昆虫だって同じです。小さな体で驚くような暑さ対策の「技」をもっています。 例えばハチは巣の中が暑すぎると幼虫が死んでしまうため、あの手この手で...


125 大城山 鶴ケ峰
絶景見て日本の真ん中へ 野山が新緑に輝き始めた4月下旬の土曜日、山仲間3人で辰野町の大城山(おおじょうやま)=王城山(1027メートル)と鶴ケ峰(1277メートル)に出かけた。 大城山からは伊那谷北部を一望。鶴ケ峰には列島の真ん中を表す「日本中心の標」があり、山頂の展望塔か...


3 中学・高校時代
百科事典読むのが楽しみ 部活は地質クと理科部に 柳町中学に入学後、勉強はあまりしなくなりました。代わりにはまったのが、入学のお祝いにもらった百科事典を読むこと。40巻ぐらいあった事典を端から読んでいくのが楽しみでした。部活は地質クラブに入部しました。裾花川の上流には化石がた...


2 7代目
会社と家庭 区別ない毎日 継ぐイメージごく自然に 1951(昭和26)年3月31日、長野市で生まれました。父は善助、母はヒサエ。家業は酒の卸・流通業で、元々は文久元(1861)年創業の小さな造り酒屋でした。先祖は旧豊田村(現中野市)の出身らしく、中野市にある西光寺の住職が...
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