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20 ピーコさんとの出会い
「大門曼荼羅」出演きっかけ 「お姉ちゃま」と呼ばれる 1987年の大門町のまちおこしイベント「大門曼荼羅」にお呼びしたゲストでファッション評論家のピーコさんもまた、藤屋と親交を深めてきたお一人です。 私が最初にお会いしたのはこのイベントの何カ月か前でした。下諏訪の温泉旅館で...


ホタルイカと菜の花のパスタ
2023年3月25日掲載 南北に長い地形の日本では、産地や品種によって旬の時季を長く楽しめる食材もあり、うれしいですね。旬の食材をたくさん取り入れた献立を紹介します。 (県栄養士会北信支部) ホタルイカの旬は産地によって少し異なりますが、富山県では3月1日から漁が解禁にな...


春ニンジンのリボンサラダ
2023年3月25日掲載 南北に長い地形の日本では、産地や品種によって旬の時季を長く楽しめる食材もあり、うれしいですね。旬の食材をたくさん取り入れた献立を紹介します。 (県栄養士会北信支部) 春ニンジンのリボンサラダ 材料(2人分) 春ニンジン…………120g 調味料...


19 立川志の輔さん
永さんが落語会に出演依頼 数年後 藤屋で「やりたい」 落語家の立川志の輔さんが藤屋に初めて見えたのは、1987年11月のことでした。藤屋博覧会後、こういうにぎわいを街に広げようと、永六輔さんが企画した「大門曼荼羅(まんだら)」で、永さんがゲストの一人としてお呼びしたのです...


アメンボの引っ越し
冷たい風吹く水面から 落ち葉の下や土の中へ 春本番を迎え、冬の間それぞれの場所で寒さをしのいでいた虫たちも、元の場所に戻り始めています。 アメンボもその一つです。田んぼや池にいるイメージが強いアメンボですが、冬は水辺から離れて過ごします。...


18 藤屋博覧会
永さんの発案から始まる 予想上回る2千人の来場 藤屋のティールームでお茶を飲んでいらした永六輔さんが「藤屋博覧会をやってみない? お宝はあるし、イベントと合わせて旅館中を使ってやったら面白いよ」とおっしゃったのは1987年のこと。藤屋で毎年1回開いた永さんのトークショー「本...


135 冬の入笠山
大展望の雪山を楽しむ 快晴・無風。絶好の登山日和に恵まれた2月末日、諏訪郡富士見町と伊那市境の入笠山(にゅうかさやま=955メートル)に登った。山頂からの360度の眺めは素晴らしく、大勢の登山客が雪山を楽しんでいた。 入笠山にはスズランの花が咲く頃何度も訪れていたが、ちょう...


17 仕事と子育てと
忙しく目まぐるしい日々 責任感の強い姉 優しい弟 藤屋での女将修業の時期は、今でいうシングルマザーとして2人の子育てとともにありました。藤屋で再び働き始めた頃、長女香苗は4歳、現在藤屋の社長として頑張ってくれている長男の大史郎は2歳でした。当初は県庁近くの乳児院に預けてい...


16 永六輔さんとの思い出
「いくらでも協力するよ」 本陣小劇場 40年以上続く 戸隠の大久保の茶屋で初めてお目にかかり、ごあいさつさせていただいた永六輔さん(1933〜2016年)は、それから1年もたたない1965年ころから、長野にお仕事でいらっしゃった時には藤屋を利用してくださいました。...


イワシのカレー風味 かば焼き・菜の花添え
2023年2月25日掲載 暦の上では立春を過ぎましたが、まだ寒い日が続いています。長い冬を過ごした分、春の訪れが待ち遠しいです。少しずつ春を感じる食材も出回り始めました。食卓に取り入れ、春の訪れを感じてみませんか。 (県栄養士会北信支部)...


15 劇団の常宿に
役作りでハイヒール履く 杉村春子さんの努力に敬服 私が藤屋で本格的に仕事をするようになった1970年代から80年代にかけては、全国に広がる演劇鑑賞団体「市民劇場」の活動が盛んで各地で演劇鑑賞会が開かれていました。長野でも長野市民劇場が企画した公演が年に6〜7回あり、藤屋は日...


チョウの目覚め
「発育零点」を基準に 温度差で「春」感じる 「蠢く」—この漢字の読み方、ご存知でしょうか。「うごめく」と読みます。よく見ると、春の下に虫が二つ付いていて、春になり土の中から虫がモゾモゾ出てくる様子を漢字一字でよく表しています。...


14 ファミリーコンサート
地元の音楽家らが生演奏 2、3カ月に1回—5年間 私が本格的に仕事をするようになった70年代後半(昭和50年代)の藤屋には、主に善光寺詣での団体や営業職の方たちが宿泊されていました。中でも、明治から続く善光寺参拝の「講」で、東京・新宿の「月信講」は古くから藤屋を常宿とされて...


13 姉弟2人の母親に
長野→横浜そして長野へ 気持ち新たに再び藤屋で 3年間の約束でオランダ・アムステルダムのホテルで働いたフィアンセの由良正史さんが帰国した翌年1968年3月、彼が藤屋へ婿養子に入るかたちで私たちは結婚しました。 夫となった正史さんは優し過ぎるくらい優しい人でした。しかし、世界...


12 永六輔さんとの出会い
婚約者の手紙によく登場 50年にわたるお付き合い 1964年、神戸港から貨物船で1カ月がかりでオランダ入りしたフィアンセの由良さんは、3年ほどの予定で現地のホテル「アムステルダムヒルトン」に就職しました。アムステルダムのスキポール空港は、いわゆるハブ空港で、その頃ヨーロッパ...


冬こそカルシウムを! 大豆入りドライカレー
2023年1月28日掲載 寒い冬の季節は外に出て日光に当たることが少なくなり、牛乳を飲む機会も減り、カルシウムの摂取量が減少しがちです。今こそ、カルシウムたっぷりの大豆と小松菜のメニューで骨を元気にしましょう! (県栄養士会北信支部)...


11 ホテル専門学校
実践に即した授業中心に 同級生の一人と結婚へ 自由学園の最終学年である学部2年生、20歳になった私はいよいよ次のステップを考えなければならない時期にさしかかりました。英語が好きだった私は、本音を言えば、海外に語学留学をしたい。かなわなければ語学学校で勉強したいと思っていまし...


寒さに弱いカメムシ
暖かい民家に移動 白い物に集まる習性 一年で最も寒い時期を迎えています。虫たちもそれぞれの方法で寒さを乗り越えていますが、成虫で越冬するものは、涙ぐましい努力をしています。 例えば、カメムシは成虫の姿で冬を越すというのに、残念なことに寒さにめっぽう弱いそうです。ある程度の寒...


10 独自の寮制度
学校同様「完全自治」の生活 5時半起床 洗面・掃除… 自由学園は独自の寮制度が注目されていました。地方出身の生徒や、近郊からの希望する生徒などが入る「清風寮」という女子寮が二つありました。第1寮には約150人、第2寮には約50人の普通科(中学)1年から学部2年までの生徒・...


09 自由学園の生活
昼食は生徒ら500人一堂に 学年ごと交代で食事作る 自由学園での生活が始まってびっくりしたのは、中学1年から学部(短大に相当)2年までの女子部の生徒ら500人が毎日食堂に集まり、昼食を共にしていたことでした。そしてその食事はすべて生徒たちの手作りでした。...
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