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3 中学・高校時代

百科事典読むのが楽しみ 部活は地質クと理科部に

(右から)中学生の私と母と祖母

 柳町中学に入学後、勉強はあまりしなくなりました。代わりにはまったのが、入学のお祝いにもらった百科事典を読むこと。40巻ぐらいあった事典を端から読んでいくのが楽しみでした。部活は地質クラブに入部しました。裾花川の上流には化石がたくさんあり、そこに行って化石を掘り、調査をしていました。よく出たのはホタテ貝の化石。海だった太古の時代のことを考えると、ロマンというか、不思議な感じがしました。

 地質クラブに入部したのは恐らく、百科事典を読んでいた影響ではないでしょうか。事典の中の地質や土壌に関する記述が地質調査への関心をかき立てたのかもしれません。

 当時の柳町中学校は1学年13クラスもあったマンモス校でした。生徒もクラスもさまざまで、まとまりがあったという印象は残っていませんが、同級会は今でもほぼ毎年開いていて、20人前後が集まり盛り上がります。私は仕事が忙しくて残念ながらなかなか参加できないので、ワインを差し入れています。

 中学時代の3年間は、見事なまでに「ほどほどで普通」。良くも悪くも目立つ生徒ではありませんでしたが、卒業アルバムに私のことを「物静かだけど、頼れる感じの人」と評してくれた友達がいました。記憶にはありませんが、何かを手伝ったりしたのかもしれません。物静かだったのは確かで、当時を知る同級生は、テレビに出たり、講演会などで冗舌に話したりする今の私と中学時代の私が一致しないと驚いています。

 高校は、家業などを考えて長野商業高校に進学しました。部活は理科部で公害の研究をしていました。例えば川の水の酸素の含有量とか、空気中の細菌の状態などを分析しました。

 土壌や水質の知識はブドウ栽培には大切な要素であり、中学の地質クラブや高校の理科部での研究で得た知識は、今になって役立つことがあります。

 高校時代は、中学時代よりもさらに勉強をしなかったので、先生から「この点数では進級できないぞ」と言われていました。心配した先生から「数学の先生の所に行って教えてもらってこい」とよく言われて職員室に通い、何とか進級した感じでした。

 私は学校の勉強には関心が湧かず、中学時代から夢中だった百科事典の読みあさりを続けていました。ソムリエになった今、この百科事典から得た総合的な知識がとても役に立っています。

 3年生になって保健委員長を務めました。生徒の健康状態を調査し、しっかりした統計を取りました。その調査結果を発表する機会があって全国の高校でトップクラスの評価を得ました。これはとてもいい経験でした。体育祭の時は救護班。相変わらず運動が苦手だった私は競技にほとんど参加せずに済んだのはラッキーでした。

 保健室は、高校生活における「治外法権」の部屋で、授業が嫌になった生徒などは体調が悪いと言って、保健室に逃げ込んで来ていました。保健委員長は、そんな生徒の体調の良しあしを判断していたので、「高野には優しくしておかないと保健室に入れない」と、普段から一目置かれていました。そんな「特権」のあった保健委員長の居心地は悪くありませんでした。

 保健委員長だったことで、健康に気を使うようになり、今も続いています。「70歳を過ぎてよく動けるね」と言われますが、普段からバランスの良い食事を心がけているおかげだと思います。

 聞き書き・斉藤茂明


2022年5月21日号掲載

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