世界の研究者 松本に集う 北アで野外観察会も実施
日本鳥学会の会長を務めていた時、国際鳥学会の日本招致活動と並行し、ライチョウの国際会議の日本への招致も進めました。
世界にはライチョウ類の研究者が300人ほどいて、3年に1度国際ライチョウシンポジウムが開催されます。私がこの国際会議に初めて参加したのは2002年、中国・北京で開催された大会でした。
50歳を過ぎてライチョウ研究の再開を決意した後で、世界のライチョウ研究の潮流やレベルを知るのが目的でした。海外ではライチョウは狩猟の対象のため、人への警戒心が強く、捕獲が難しい鳥でした。そのため、捕獲し、標識を付けて個体識別した個体群研究は進んでいませんでした。人を恐れない日本のライチョウは、数メートルの距離まで近づけます。釣りざおの先に付けたワイヤーをライチョウの首にかけるだけの「ライチョウ釣り」という効率的な捕獲方法をすでに確立していたので、カッコウの場合と同様、10年で世界トップの研究成果を挙げられると感じました。
05年、ピレネー山脈の麓にあるフランスのルションでの大会で、私は初めて発表を行いました。日本のライチョウは、世界最南端に分布する集団で、人を恐れない特異性があり、その理由には日本文化が深く関わっていることを発表しました。日本には、高い山には神がすむという山岳信仰があり、奥山にすむライチョウは「神の鳥」として崇(あが)められてきたため、今も人への警戒心がなく、人を恐れません。海外の研究者にとっては、初めて聞く日本のライチョウの話でした。
08年、カナダ・ホワイトホースの大会では、人を恐れない日本のライチョウは、簡単に捕獲できることを述べ、約10年間にわたり乗鞍岳に生息するほぼ全個体を個体識別して調査した研究成果を発表しました。これは、海外の研究者にかなりのインパクトを与えました。次回大会の日本招致のプレゼンテーションも行うと、欧米の研究者の多くは、「次は日本で人を恐れないライチョウを見たい」と声をそろえ、選挙で日本開催が決まりました。
11年に予定されていた日本大会は、3月の東日本大震災と福島原発事故により、1年延期になりました。翌12年、「第12回国際ライチョウシンポジウム」が7月20日から4日間、松本市で開かれました。大震災の後にもかかわらず、世界20カ国から90人ほどの研究者が参加。初日は「日本セクション」で、私が日本人とライチョウとの関わり、日本での研究の歴史や成果、現状と課題などを講演しました。その後、山岳集団ごとの遺伝子解析結果や乗鞍岳での個体群研究、温暖化による影響予測などの発表が続きました。日本で10年以上幅広く研究してきた成果を披露したことで、多くの海外の研究者に、日本で最先端のライチョウ研究が進んでいることを知ってもらうことができました。
会議終了後は、三つのグループに分かれ、乗鞍岳など北アルプスで2泊3日の野外観察会を実施しました。日本の山岳は、ヨーロッパのアルプスや北米のカナディアンロッキーなどにはスケールで劣るものの、眺望の美しさと「お花畑」の素晴らしさは勝っています。7月下旬に開催を決めたのも、北アルプスの景観や自然、お花畑の素晴らしさを知ってもらうためでした。
海外の研究者が最も驚いたのが、日本のライチョウがまったく人を恐れないことでした。「自然と共存」する日本文化を知り、自然保護に無関心なエコノミック・アニマルという、海外の研究者がそれまで持っていた日本のイメージががらりと変わるのを実感しました。
聞き書き・斉藤茂明
2024年6月29日号掲載