top of page

24 久世福商店

和の食文化のブランドを 心に浮かんだ父創業の店

久世福商店1号店「イオンモール幕張新都心店」オープンの時

 中国から事業を完全撤退した約1年後の2013年12月、久世福商店1号店をイオンモール幕張新都心(千葉県)にオープンしました。久世福商店は、サンクゼールのスタッフが訪ね歩いて交渉した日本各地のメーカーのだしや調味料、菓子などをシンプルなパッケージデザインで統一して販売し、現在全国約130店舗になっています。

 当時は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたり、日本文化が「クールジャパン」と発信されたり—と、欧米文化一辺倒でなく、日本の伝統や文化を見直そうという機運が社会的に高まっていました。私も欧米に憧れを強く持ってサンクゼールの事業展開をしてきましたが、自分自身の関心も、しょうゆやだしなどの和の食文化に向かっていると感じていました。

 まだ中国で事業を行っていた頃にシンガポールで開かれた展示会に参加した時も、そういう意識を持って臨んでいました。これから和の食材が注目される時代が来るだろうと感じたときに心に浮かんだのは、私の父・久世福松が東京で創業した久世商店でした。久世商店はケチャップやソースを作る食品メーカーでしたが、父の母(私の祖母)は千葉県の「大高醤油」というしょうゆ屋の一人娘。私は、子どもの頃に見たしょうゆ蔵を思い出していました。

 日本の食文化のブランドをつくりたいと直感的に思い、「久世商店」という名前が思い浮かびました。シンガポールのホテルの一室で、明け方の5時くらいまで夢中でメールを書いてまとめ、息子の良太と直樹、幹部たちに向けて、「久世商店計画」という長いメールで「和の食材を集めた『久世商店』というブランドを始めてみたいがどうでしょうか」と送りました。

 私の予想よりも社内の反響は大きく、日本に帰ってから、会議で正式に話しました。父の名前から屋号を「久世福商店」とし、マークは「山三」とするなど、ブランドの内容を詰めていきました。「久世福商店」の企画書を作り、イオンの本社の方にお話ししたところ共感され、熱心に協力していただきました。

 良い品物を求めて、規模は小さくてもこだわって作っている地方のメーカーを訪ねました。問屋を通さず、弊社のバイヤーたちが口コミや紹介を頼りに北海道から沖縄まで一軒一軒回りました。

 先々で「久世福商店」の営業理念に興味を持っていただき、「コンビニや大手スーパーに出すほどの量は作れないが、小規模なら自分たちも協力できる」と、好意的に受け入れてもらえました。

 メーカーの人たちが抱く将来への不安をくみ取り、共に成長していくというプランが受け入れられたことと、全国各地の和の食品だけを集めて販売する店があまりなかったことが、この事業を後押ししてくれました。

 私がこれまで欧米の食料品店で見てきた、しょうゆなど日本食のパッケージは、日本と同じデザインで、目立てばいいというような感じで独自の良さは感じ取れませんでした。そこで久世福商店は、日本人の美意識を表現しようとシンプルで奥ゆかしいデザインに統一しました。

 マーケティング的発想に慣れていないメーカーの人たちに、久世福商店のバイヤーが消費者に近い目線で意見を出し、手の届きやすい価格帯にするために内容や量などで工夫をしています。

 若い社員の自由な発想で伸び伸びとチャレンジしてもらっており、久世福商店は、私の手を離れて、当初思い描いていたよりも、ずっと素晴らしいかたちになりました。

聞き書き・松井明子


2021年7月31日号掲載

Kommentare


bottom of page