14 スタッフとの対話 
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14 スタッフとの対話 

一方的に夢を語った私 反省しつつ共に前進へ

欧風田舎料理店サン・クゼールオープンの頃。左から私、長兄、子どもたちと私の両親、後ろにまゆみさん

 1986(昭和61)年、三水村(現飯綱町)の村制100周年記念事業として、斑尾高原農場の誘致が決まりました。私が36歳の時で、スタッフは25人くらいになっていました。朝礼で毎日のように会社の夢を語り、スタッフは黙って聞いてくれていました。私は仕事を終えると毎晩、建設予定地に車で出かけて、暗い中を懐中電灯で照らして歩きながら、工場完成後の夢を膨らませていました。私にとって一番楽しい時間でした。

 当時、売上高は5億円ほどに増えていました。少ないスタッフの割に多くの利益を上げていたので、銀行の信用度も高まりました。

 一方、私の気持ちと相反するように、本社・工場の完成までに、スタッフの3分の1が辞めていきました。ただ単に「中野市から三水村までは遠くて通勤できない」という人もいましたが、「三水村に行くのが良いとは思わない」「うまくいくわけない。会社がつぶれますよ」と言われたこともあります。次々と辞められたのは衝撃でしたが、今から思うと、スタッフ一人一人としっかり対話せず、自分の夢を一方的に語っていただけでした。

 都会で生まれ育った私は、「(三水村は)農業立村で観光化されていないからこそ魅力がある」と説明しましたが、スタッフは、私がじかに見て影響を受けたヨーロッパの美しいワイン産地を見たわけではないし、ピンとこなくて当然です。本気で夢を語れば分かってもらえる、共感してもらえると考えたのは自分の甘えなのだと気が付きました。

 当時の私は経営者として未熟で実績に乏しく、信用に足るだけの説得力を持ちあわせていませんでした。反省しつつ、先の見通しがはっきりしない中でも付いてきてくれたスタッフと共に前進していこうと思いました。

 三水村の村民から見たら私たちはよそ者ですが、当時の篠原行雄村長はじめ、お世話になった村の関係者にはよくしてもらいました。30人ほどいた建設予定地の地権者の皆さんへのあいさつの段取りもしていただきました。地域の公民館で開かれた説明会と、飲み会での「飲みニケーション」で、私たちのことを理解してもらうことができました。地権者の皆さんとは、今でも報告会を行っています。

 87年に用地1万6千平方メートルを取得。丘の北側に村道につながる約600メートルの道路が完成し、工事用車両が入れるようになり、本社・工場の建設工事が始まりました。

 工場は翌88年に完成。念願だったジャムの自社生産を始めるとともにワインの試験製造免許を取得しました。工場が稼働し、ワイン用ブドウ畑造成とレストランの建設着工と計画が進行する最中に、地元の倉井地区へのあいさつをしていなかったことが住民から役場への問い合わせで判明しました。私たちはすぐに説明の場を設け、70人ほどの人たちを前に、構想を話すとともに、「ご迷惑をかける施設ではないのでご協力をお願いしたい」と、説明不足と失礼を何度もおわびしました。長老の一人が「ここまで説明してくれたし、役場も後押ししているのだから、これまでのことは水に流そう」と言ってくださいました。今では「来てくれてありがとう」と言われることが多く、良かったと思います。

 89年には「欧風田舎料理店サン・クゼール」がオープン。同時期に農業生産法人「三水ワイン生産農園」を設立し、約3万坪の畑でワイン用ブドウの栽培を始めました。90年、ワイナリー・売店・バーベキューハウスを新設。ワイン製造の本免許を取得し、夢の一つだったワイン製造が本格的に始まりました。

聞き書き・松井明子


2021年5月22日号掲載

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