112 信州シルクロード04 絹の道

精神活動と文化が豊かに

千曲市八幡の大雲寺裏山の石仏、猫神様

路(みち)とは何か? 

それは路のないところを踏み歩いてできたものである。

荊棘(いばら)ばかりのところを伐(き)りひらいてできたものである。  魯迅

 

 シルクロード、絹の道とは何か—。答えのヒントになる貴重な言葉の一つだ。小説「阿Q正伝」などで知られ、中国近代文学の父ともされる魯迅である。

 シルクロードも、踏み歩く人類の活動の積み重ねを通じ、成り立った道にほかならない。アジアとヨーロッパ、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路だ。

 中国の古都長安、そしてローマの間には、中央アジアを横断するオアシスの道、北方の草原の道、さらにインド洋などを回る海の道があった。 けれどもそれは、1本の線で描くイメージとは違う。いわば格子状に帯のごとく幾重にも重なっていた。

 絹をはじめ運ぶ物により、道にはあれこれ呼び名がつく。石器時代から黒曜石が大切にされた石の道、人の生存に必需品の塩の道、照明や燃料用の油の道など実に多彩だ。

掛け軸に描かれた養蚕絹笠大神(長野市浅川西条、北條昭吾氏蔵)

 ことに信州のシルクロードは、塩の道と重なる場合が多い。海辺で作られた塩が、山深く農山村一軒一軒の戸口へと運ばれる。その農家で育てられた繭から生糸が生まれ、輸出用に港へ集められる。

 海から山へ山から海へ、双方向に移動する関係に塩と生糸はあった。広い意味では原料の繭が、農家の庭先から製糸工場へ運ばれた無数の道も、シルクロードといっていい。

 同じように養蚕業の出発点、蚕の卵の蚕種が流通したルートもシルクロードだ。蚕が食べる桑を載せた大八車やトラックの走った道もそうだ。製糸場で働く少女たちが、遠い故郷との間を歩いて越した峠道も含まれる。

 約2千年前、中国大陸から養蚕が伝わった弥生時代には、石の道が米の道に変わった。塩の道も広がりつつあったに違いない。それらを新たに活用し、絹の道は拡充していった。

 人が歩くことで道は開ける。人が動けば物だけでなく、言葉や詩歌、思想、宗教なども伝わる。蚕は野生のクワコを屋内で飼って家畜となった昆虫だ。人間の手厚い世話なしには生きていけない。

 無事に育ち、良い繭を作ってほしいという願望は、養蚕信仰へと発展し、あちこちに蚕影(こかげ)神社が創設される。蚕神オシラサマ、絹笠大神などの掛け軸を飾って祈る。蚕を食い荒らすネズミの天敵、猫や蛇も神として祭った。

 人間の精神活動、文化の集積が豊かになされたところ。それがシルクロード、絹の道だった。例えば、日本列島の中央部、信州を南北に貫く秋葉街道に、絹の道のたどった歩みの具体例を見ることができる。


2021年10月30日号掲載