8 玉井先生の講演に同行農家にワインの魅力伝え 「もっと広めたい」思い強く 高野総本店が、ワインの取り扱いに力を入れようとした矢先の1983年、旧三郷村(現・安曇野市)に安曇野ワインが立ち上がりました。地元農家が集まって設立した珍しい形態で、これを後押ししたのが、信州大学で農学を教え農村における地...
7 なぜ「ワイン」か小学生の時ディナー体験 紳士的もてなし衝撃的 南信を中心に県内を精力的に営業活動した約10年間。その後半は、兼務していた常務として、父でもある社長から少しずつ重要な仕事を任されるようになりました。 そして1985年、34歳の時、会長になった父に代わり、7代目社長に就きました...
6 営業10年南信の酒屋さん新規開拓 タフな経験「度胸」「話術」培う 高野総本店で、3年ほど配送を担当し会社の伝票などをコンピューター管理するためのシステム構築に携わった後、30歳の頃に営業担当になりました。前任者の叔父から長野県の南半分と新潟の上越エリアを引き継ぐとともに、主に南信での...
5 高野総本店に入る日本酒のことかなり勉強 「将来的にはワイン」とも 大学を卒業するとすぐに家業の高野総本店に入りました。大学時代から長期の休みには帰郷し、仕事を手伝っていたので戸惑うことなく会社に溶け込め、会社の先輩も〝7代目〟の私を「豊さん」と呼んで歓迎してくれました。...
4 大学時代勉学・バンド…のめり込む 凝り性 プロ並みに上達も 勉強嫌いの高校時代でしたが、進学クラスにいたので大学に進学する気持ちはありました。両親の勧めもあり、推薦で千葉商科大学へ進みました。 大学のサークルはマンドリン部でパートリーダーを務めていました。しかし、2年生になって体...
3 中学・高校時代百科事典読むのが楽しみ 部活は地質クと理科部に 柳町中学に入学後、勉強はあまりしなくなりました。代わりにはまったのが、入学のお祝いにもらった百科事典を読むこと。40巻ぐらいあった事典を端から読んでいくのが楽しみでした。部活は地質クラブに入部しました。裾花川の上流には化石がた...
2 7代目会社と家庭 区別ない毎日 継ぐイメージごく自然に 1951(昭和26)年3月31日、長野市で生まれました。父は善助、母はヒサエ。家業は酒の卸・流通業で、元々は文久元(1861)年創業の小さな造り酒屋でした。先祖は旧豊田村(現中野市)の出身らしく、中野市にある西光寺の住職が...
1 ワインと共にビジネスチャンス生まれ「地域おこし」の仕事へ発展 私は、長野市平林にある酒の卸・流通業の「高野総本店」社長の高野豊です。お酒好きの人なら「マスターソムリエの高野豊」と自己紹介した方がおなじみかもしれません。 大手スーパー、イオンのお酒売り場で、私の顔写真入りのポップ(宣伝用...