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私の歩み 高野豊さん
My history TakanoYutaka


26 前に進む原動力
出会いからビジネス拡大 アジア進出 日本の酒PR 上信越自動車道須坂長野東IC近くに出店するイオンモールに「マスターソムリエ高野豊セレクション」が設置される予定です。県内のイオンモールでは松本店に次いで二つ目。長野市近辺の方にも気軽に訪れていただけるようになり、楽しみです...


25 増えるワイナリー
ワイン造りは情熱に加え クールな経営者の姿勢を 若い頃、私はワインに魅せられ、ワインを広める活動をしてきました。ワインファンを増やすため「ワインを楽しむ会」を主宰し、長野県原産地呼称管理制度の創設では、「NAGANO WINE」のブランド化に力を注ぎました。ワインブドウの栽...


24 たどり着いた仕事術
「これはすごい」と思わせる 「尊敬」体験が仕事には必要 大手スーパー「イオン」のアドバイザーである私は、リカー売り場の社員教育で気付かされることがあります。 イオンは、「メアリー・スチュアート」という、とても質の高いシャンパンを輸入していますが、陳列しているだけでは思うよう...


23 はちのへワイナリー
まず「売り先」確保ありき 成功へのビジネスモデル 2019年6月、私が事業に携わってきた「はちのへワイナリー」(青森県八戸市)の工場が完成し、式典が盛大に行われました。 そもそもの始まりはその10年ほど前。私は、八戸市にあった地元の老舗百貨店でワインの販売支援と店舗の活性化...


22「タユバン」のマネジャー
客のワイン選択を褒める ソムリエの本分を知る 1995年ごろ、私が主宰する「ワインを楽しむ会」のワイナリー見学ツアーで、フランスの老舗高級ホテル「リッツ・パリ」を訪れた時、「本物」のソムリエについて考えさせられる出来事がありました。...


21 欧州の街でふらっと
未知のワインとの出合い 「もっと勉強を」気持ち新た 私は街を歩き、気になった飲食店があればよくふらっと立ち寄ります。 1990年に行われた日本ソムリエ協会の2回目の欧州見学ツアーで、フランスとスペインに行きました。ピレネー山脈の麓、フランスとスペインに挟まれた位置に「アンド...


20 あかね大根焼酎
「日本一おいしくない…」 注目集める「仕掛け」効果 2006年ごろ、旧清内路村(現阿智村)が、特産の「あかね大根」を原料にした「あかね大根焼酎」を製品化しました。村から「どう売ればいいか。アイデアを貸してほしい」と頼まれた私は、試飲してみて、「あかね大根焼酎だけでは香りがき...


19 中国産ワイン
アイスワイン「発見」と驚き 輸入を決断 普及の可能性 「シルクロードのアイスワインはいかがですか」 10年以上前、私は東京ビッグサイトで開かれた展示商談会を訪れた際、こんな売り込みを耳にしました。たどたどしい口調の日本語で、よく見ると中国の出展ブースでした。...


18 欧州のワイナリー
現地に50回以上足を運ぶ 高めたソムリエの「感度」 1986年、日本ソムリエ協会主催のツアーで私は初めて欧州のワイナリーを見学しました。フランスのボルドーやブルゴーニュといった主要なワインブドウの産地を回り、ドイツの産地にも行きました。90年の2回目の協会主催ツアーではフラ...


17 一目ぼれしたブドウ畑
ユニークな栽培農家夫妻 説得し逸品の赤ワインに 2007年ごろ、上伊那郡宮田村で、地元で栽培されたワイン用ブドウ品種「ヤマソービニオン」を本格導入すると聞いて早速見学に行きました。ヤマソービニオンは、野生種で寒さや病害虫に強いヤマブドウと、赤ワイン用のブドウ「カベルネ・ソー...


16 イオンの新商品開発
地域おこしと位置づけて 身近な縁を感じることも 私が2004年から務めているイオングループのアドバイザーの仕事の一つに新商品開発があります。 昨年新発売した「愛媛ポンカンサワー」は、イオングループで愛媛県のご当地サワー開発の話が持ち上がった頃、ポンカンの産地・八幡浜市(愛媛...


15 イオングループ
ワイン売り場改善を「直訴」 流通大手とのパイプ構築 大手流通グループ「イオングループ」の商業施設で、「マスターソムリエ高野豊セレクションコーナー」が設けられているのを見たことがあるでしょうか。私のコーナーがあるのは、私がイオングループのアドバイザーを務めているからです。きっ...


14 日本ソムリエ協会
「新人」の頃 会長と意気投合 06年マスターソムリエに 1985年、私は日本ソムリエ協会に入会しました。推薦人は田崎真也さんでした。翌86年、協会が初めて開催した欧州ワイナリー見学ツアーに、私は「面白そう。行ってみよう」と軽い気持ちで参加しました。...


12 原産地呼称管理制度
県が長野ワインを「認定」 ブランド力・認知度アップ 2000年の県知事選で当選した田中康夫知事は、フランスの制度を手本に「長野県原産地呼称管理制度(NAC)」を提唱しました。長野県で生産・製造され、味と品質の優れた農産物と加工品のブランド化を強化し、消費者の信頼を高めるのが...


11 農業系ソムリエ
「農家」出身 生産現場を熟知 商品開発では必ず現場へ 私は、自らを「農業系ソムリエ」と名乗っています。実家は、お酒を取り扱う「高野総本店」を営むだけでなく、米や麦を作ったり、梅や栗を栽培し、市場へ出荷したりする「農家」であり、私自身、子どもの頃から農作業の手伝いをしていまし...


10 ソムリエコンテスト出場
日本のトップと同じ舞台 経験を積み芽生えた自信 私の構想は、取り扱いを始めた安曇野ワインを全国区にしたいと、どんどん膨らんでいきました。そして、1983年ごろ、東京・銀座の百貨店「三越」へと乗り込みます。3日間のワインフェアに出店を許可され、3タイプの安曇野ワインを持ち込み...


9 ワインを楽しむ会
初心者からプロまで参加 長野のワイン文化高める 1980年代初頭の日本で、ワインが酒類の中で占める割合はわずか1、2%でした。私は将来ワインが伸びると信じていたものの、あまりにもわずかなので残念で仕方ありませんでした。そこで私はまずワインを知ってもらうことでファンを増やそう...


8 玉井先生の講演に同行
農家にワインの魅力伝え 「もっと広めたい」思い強く 高野総本店が、ワインの取り扱いに力を入れようとした矢先の1983年、旧三郷村(現・安曇野市)に安曇野ワインが立ち上がりました。地元農家が集まって設立した珍しい形態で、これを後押ししたのが、信州大学で農学を教え農村における地...


7 なぜ「ワイン」か
小学生の時ディナー体験 紳士的もてなし衝撃的 南信を中心に県内を精力的に営業活動した約10年間。その後半は、兼務していた常務として、父でもある社長から少しずつ重要な仕事を任されるようになりました。 そして1985年、34歳の時、会長になった父に代わり、7代目社長に就きました...


6 営業10年
南信の酒屋さん新規開拓 タフな経験「度胸」「話術」培う 高野総本店で、3年ほど配送を担当し会社の伝票などをコンピューター管理するためのシステム構築に携わった後、30歳の頃に営業担当になりました。前任者の叔父から長野県の南半分と新潟の上越エリアを引き継ぐとともに、主に南信での...


5 高野総本店に入る
日本酒のことかなり勉強 「将来的にはワイン」とも 大学を卒業するとすぐに家業の高野総本店に入りました。大学時代から長期の休みには帰郷し、仕事を手伝っていたので戸惑うことなく会社に溶け込め、会社の先輩も〝7代目〟の私を「豊さん」と呼んで歓迎してくれました。...


4 大学時代
勉学・バンド…のめり込む 凝り性 プロ並みに上達も 勉強嫌いの高校時代でしたが、進学クラスにいたので大学に進学する気持ちはありました。両親の勧めもあり、推薦で千葉商科大学へ進みました。 大学のサークルはマンドリン部でパートリーダーを務めていました。しかし、2年生になって体...


3 中学・高校時代
百科事典読むのが楽しみ 部活は地質クと理科部に 柳町中学に入学後、勉強はあまりしなくなりました。代わりにはまったのが、入学のお祝いにもらった百科事典を読むこと。40巻ぐらいあった事典を端から読んでいくのが楽しみでした。部活は地質クラブに入部しました。裾花川の上流には化石がた...


2 7代目
会社と家庭 区別ない毎日 継ぐイメージごく自然に 1951(昭和26)年3月31日、長野市で生まれました。父は善助、母はヒサエ。家業は酒の卸・流通業で、元々は文久元(1861)年創業の小さな造り酒屋でした。先祖は旧豊田村(現中野市)の出身らしく、中野市にある西光寺の住職が...


1 ワインと共に
ビジネスチャンス生まれ「地域おこし」の仕事へ発展 私は、長野市平林にある酒の卸・流通業の「高野総本店」社長の高野豊です。お酒好きの人なら「マスターソムリエの高野豊」と自己紹介した方がおなじみかもしれません。 大手スーパー、イオンのお酒売り場で、私の顔写真入りのポップ(宣伝用...
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