top of page


映画ロケハン散歩
脳内イメージ膨らませて 7月19日のまち歩きのテーマは「映画ロケハン散歩」。案内人は、映画を見て語り合うイベント「権堂映画倶楽部」を主催する沖快生さん(22)。「もし長野市門前エリアをロケ地に映画を撮るなら」「もしあの映画のあのシーンをこの街で再現するなら」―。自称「架空映...


11 長野に戻る
夫の遺作展を無事開催 作品集も納得の出来栄え 私にとって小松の死の衝撃は計り知れませんでしたが、志半ばで逝った小松の無念さを思うと、この世に小松良和という優れた作家がいたのだという証明を何としても残さなければならないと思っていました。一周忌の頃に、当時芸大にあった陳列館と生...


10 夫との死別
素晴らしい才能に恵まれ… 「星影のワルツ」を娘に歌う 1984年に開催した夫婦二人展で私は初めて花の絵を発表しました。長らく否定していた絵画が私の中でよみがえったのです。現在に至る私の花の絵のスタートでした。伊那市内のショッピングセンターのフリースペースを3日間借りて開催し...


139 八方池
絶景は見えず花を楽しむ 関東甲信の梅雨が明けた7月下旬の土曜日、「北アルプスの鏡」と称される白馬村八方尾根の八方池を訪れた。期待していた水面に白馬三山の姿を映す絶景は、あいにく厚い雲に覆われ見えなかった。代わりに、今を盛りと咲き誇る高山植物の花々を楽しんだ。...


天気と関係 セミの羽化
晴れた日の暗い時間 地中から様子を観測 夏本番を知らせるように、セミが鳴き始めました。 セミは一生の大半を土の中で幼虫として過ごします。ようやく外に出て成虫になっても、そこから1〜2週間しか生きられず、短い命を燃やすように一生懸命鳴くのです。...


09 出産後の制作再開
「夫婦二人展」へ題材探し 道端の百日草にひらめき 1982年、伊那市の農村部にある小松の実家に引っ越し、30畳のアトリエを増築しました。小松は佐久に住んでいた時も、東京でインスタレーションの個展を開いていましたが、生家に戻り本格的に絵画制作に取り組み始めました。...


08 佐久へ引っ越す
別世界—のんびりした生活 挫折感の半面解放感も 埼玉県入間市での小松との生活も落ち着き、私は個展開催やグループ展に参加するなど、作家活動を本格的にスタートしていました。しかし、病弱だった小松の父の体調が悪化し、心細いので長野県に戻って来てくれないか—と、両親から連絡が来るよ...


高野豆腐の炒め煮
2023年7月15日掲載 ~たんぱく質をしっかり食べて暑さに負けない体づくり~ たんぱく質は筋肉、血液、骨を作り、体を構成している栄養素です。たんぱく質をしっかり食べて、暑さに負けない体力のある体をつくりましょう。 今回の献立は、たんぱく質が多く肉や魚に比べ価格が安定してい...


07 仕事と作家活動の両立
初の個展では苦い思い出 反省生かし次のプランへ 東京芸術大学の4年生になった私は、中学校の先生になって、その傍ら作家活動をしようと、東京都の教員採用試験を受けましたが、まじめに試験勉強に取り組まず、当然の結果として不合格でした。次に、美術界という特殊で狭い世界で作品を発表す...


138 双子山池巡り
原生林の中の神秘な池へ 梅雨の晴れ間を選んで6月下旬の月曜日、高齢の山仲間3人で北八ケ岳の双子山(2224メートル)に登り、樹林の中に点在する池巡りを楽しんだ。 隣り合う蓼科山(2530メートル)や北横岳(2480メートル)を間近に望む。北八特有のこけむした原生林の中を歩く...


06 東京芸大に進学
先輩・小松と恋愛に発展 共に現代アートの表現へ 1975(昭和50)年、憧れの東京芸術大学に進学しました。2浪目の1年間、予備校の私のクラス担任だった小松良和もまだ芸大の研究生として在学中で、予備校で共に学んだ多くの仲間も入学したので、入学当初は予備校の延長のような感覚でし...


残された下町の裏路地散歩
長屋が並んでいた町並み 再開発と時代の流れで懐かしい街の風景が消えていく中心市街地。今回の「まち歩き」は、昔の面影がわずかに残る裏路地を散歩した。案内人は問御所町出身の柳沢彩さん。南千歳町の「着物の殿堂 まるため」に勤務している柳沢さんは、藍染めの波模様がある白い着物に紫の...


カルボ風トースト
\半熟卵と焼けたマヨネーズ風味が美味/ 2023年7月1日掲載(手作りしま専科) 材料(1人分) 食パン6枚切り…………………1枚 薄切りベーコン (パンの縦長さの2/3長さ)…2枚 玉ネギ…………………………少々 卵………………………………1個...


05 予備校2年目
後の夫が新クラスの担任 指導のおかげで芸大合格 東京芸大合格の目標がかなわず、2浪が決まった1974(昭和49)年3月、住んでいたアパートが全焼する災難に遭った私。一緒に住んでいた西高時代からの友人は一人暮らしをすると決めてすでに引っ越していたので、残った私は、2人で払って...


04 美大専門の予備校
学校で描き帰宅後も描き そんな毎日も当たり前に 1973(昭和48)年、長野西高校を卒業した私は、東京・西池袋にある美術大学専門の予備校「すいどーばた美術学院」に入りました。東京芸術大学のみ受験し、不合格だったからです。芸大は1浪、2浪して入るのが当たり前だったので、浪人生...


カタツムリと梅雨
貝の仲間 乾燥が苦手 湿度高いと活動的に 最近カタツムリをよく見かけます。そこでふと気が付いたのが、カタツムリは梅雨の時期以外はあまり姿を現さないということです。なぜなのか調べてみました。 カタツムリは貝の仲間で、もともと海で暮らしていたため乾燥が苦手です。活動的になるの...


ミモザサラダ
ゆで卵の黄身を裏ごしてかけ、ミモザの花模様にし、ひと手間かけて華やかなサラダに仕上げます 2023年6月17日掲載 材料(2人分) レタス……………100g キュウリ…………1/4本 ミニトマト………6個 ゆで卵……………1個 刻みパセリ………少々 《ドレッシング》...


137 栂池自然園
眼前に迫る白馬三山の雄姿 梅雨入り前の晴れ間を選んで6月上旬の日曜日に、山仲間4人で小谷村の栂池自然園へ出かけた。まだ雪が多く難儀した箇所もあったが、白馬三山を間近に望み、北アルプス北部の雄大な景観に浸ることができた。 この日は本格シーズン入り前とあって、自然園に達するゴン...


03 中高とも美術部
将来は美術関係の仕事を 西高では夜遅くまで描く 母の実家は商売をやっていて、いろいろな人が出入りしていました。長野美術専門学校(中御所)の前身である村田絵画研究所を開設した画家の村田武次先生もその一人です。絵がうまかった母は、村田先生から、現在の東京芸大を受験してみたらどう...


02 絵を描くのが好き
幼稚園の先生に褒められ 自分は絵が得意なのかも 父の小山一夫は、篠ノ井山布施村山の農家の長男で、私が2歳ごろまで、祖父母やきょうだいのいる村山の家で一緒に暮らしていました。父は中部電力に勤めていて、通勤が大変だったことから、善光寺下の花咲町に引っ越しました。農家の大所帯から...
bottom of page
