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05 大学時代
3年生の時親友を亡くす 人生観変わり進路を決意 2年間の浪人生活の末、多摩美術大学に進学できたものの、父親の病気見舞いなどのため4月のオリエンテーション期間中に大学へ行かなかった私は、友達ができないままアパートに引きこもってばかりいました。鬱々として物事が手につかず、絵を...


04 浪人時代
美大は狭き門 ひたすらに 合格—ただただうれしく 高校3年生に進級した頃に一念発起して美術大学進学を志し、毎日バスに乗って南千歳町にあった岡沢絵画研究所へ通った私でしたが、1年間で美大に合格できるレベルまでに達するのは難しく、受験した四つの美術大学すべて不合格という結果に終...


03 中学・高校時代
美術教諭から褒められる 高3の春 美大進学を決意 1961(昭和36)年、私は柳町中学校に入学しました。当時、全生徒数2千人規模のマンモス校で、生徒は部活動を自由に選べませんでした。私は当時人気のバレーボール部に入りたかったのですが、思い通りにならず、バドミントン部でした...


02 小学校を3度転校
寂しかった友達との別れ 先生の影響で絵が面白く 私は1949(昭和24)年、父武夫(たけと)、母節子の次男として木曽の上松町で生まれました。七つ上に姉、三つ上に兄がおり、末っ子の私は大事に育てられました。 父は営林署に勤める国家公務員で転勤も多く、そのたびに家族で引っ越しま...


01 イラストレーター
美大卒業後フリーの道へ 軌道に乗るまで3年ほど 私は、美大を卒業して25歳の時にフリーのイラストレーターを名乗るようになってから74歳の今日まで、ずっとイラストレーターの仕事を続けてきました。 企業広告のイラストを手がける一方で、絵本などを出版してきました。2002年から1...
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