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21 長野出店を決意
美容界は「地方の時代」へ 長野の街に「伸びしろある」 お金に苦労してきた私ですので、東京で美容師として働き始めてからも自分の店を出すことなど「夢のまた夢だ」と思っていました。独立を決めた当初も、刺激のある東京を離れて長野に帰ることなど頭にありませんでしたが、動き始めると自然...


22 わが「いとしのエリー」
6歳下の後輩に愛の告白 3度目にまさかの大逆転 南千歳に自分の店を出すことを決めた私は、オープン間近まで原宿の美容室の仕事を続けました。長野と東京を行き来しながら開店準備と仕事に追われていたこのころ、私はもう一つ人生の大きな節目を迎えました。それは最愛の妻、通世(みちよ)さ...


23 1号店オープン
理想詰め込み7人で出発 完全予約制も客数少なく 1981(昭和56)年3月、南千歳に「SALON `d ALPHA(サロン・ドゥ・アルファ)」がオープンしました。美容師として、経営者として、私の新しい挑戦がここから始まりました。...


24 開店直後の難題
東京との「地域差」実感「半歩先」提案のスタンスへ お客さまが少しずつ増えていくのと同時に直面した難題は、長野と東京の間にあった「地域差」でした。 原宿時代、一日に30人の顧客を担当して大変忙しかった私は、「黙って座ればピタッと当たる」をキャッチフレーズにしていました。「あな...


25 注文の多い美容室
「黄金比」重視 カットは月1 心も変えていく美容の力 オープンから半年、店の評判が広がり始めたことで、私のやる気も加速しました。 「長野の美容界を変える」。この目標のため、私は自分の美容への考えを技術や言葉を通して積極的にお客さまに伝えました。...


26 スパルタ教育
竹刀で指導も反発に猛省 独自の育成機関を設立へ 「長野の美容界を変える」ことと並び、「力のある美容師を育てる」という目標にも私は本気で取り組みました。しかし、人を育てることは生半可なことではできません。失敗と後悔、試行錯誤の連続でした。...


27 美容師養成機関の設立
若手・ベテラン共に刺激 ALPHA全体の勢い加速 1986年、南千歳に開設した美容師養成機関AHA(アルファ・ヘア・アカデミー)は、一言でいうと「店舗兼美容を学ぶ場」。型破りなシステムと料金が特徴の新しい美容室でした。 新入社員がALPHA各店でお客さまを施術できるようにな...


28 絶頂期
念願かない表参道に出店 海外で仕事の機会増える 有名美容室がひしめく東京の原宿・青山エリアに「ALPHA表参道店」をオープンしたのは2001年、独立から20年の節目でした。原宿は、私が美容師として大きく成長させてもらった思い入れの深い地。20年前は家賃の高さから諦めましたが...


29 負のスパイラル
税務調査や社員の独立…悩み絶えず眠れない日々 地獄の日々—。いま振り返ってもそうとしか表現できない毎日が始まったのは、東京・世田谷に2店目を開店した翌年の2005年のことでした。南千歳のAHA(アルファ・ヘア・アカデミー)で営業前に指導していると「大変です」と会社の経理担当...


30 再生へ
苦渋の「東京撤退」「事業縮小」 転機の美容イベント関与 2011年3月11日に発生した東日本大震災。東北を中心に多くの命と日常を奪った大災害は、東京にも影響を与えました。電力制限や放射能への不安などで、街から人が消えたのです。...


31 第二の人生
家族会議で分かった答え 「ナガコレ定着」が今の使命 東京からの撤退と事業縮小を決めた私は、粛々とその作業を進めました。築き上げたものを失うことは苦しい体験でした。しかし、全ての作業を終えた時、自分の中に残っていたのは意外にも心の平穏でした。...
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