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10 カラーアナリストとして
企業の制服制作に生かす 個人事務所設立 起業家に 総合色彩コンサルタントとしてコンサルティング活動中の私(1990年ごろ) 20代後半になると私は、授業で学生たちに今年の流行やトレンドカラーの話をする中で、とりわけ「色彩」について、もっと深く知りたいと思いました。週末や...


09 コンテストへの挑戦
受賞契機にメディアへ 新たな道の広がり次々と 第8回全日本ファッション大賞コンクール フォーマル部門金賞(1984年) 米国遊学後の1983(昭和58)年秋、岡学園デザイナー科の教師として再スタートを切った私は、自らがさまざまなコンテストにトライして入賞を重ねる一方で、そ...


08 4カ月間の米国遊学
「多様な世界」大切な転機に デザイン通じて自信得る ホストファミリーのオールズさん一家と本当の家族のように過ごしたロサンゼルスで(1983年) 「もっと広い世界を見たい」と考えた私は、1983(昭和58)年春、留学を勧めるパンフレットでホームステイ先を見つけて、一人ロサン...


07 長野ドレメの教師に
自分にもっと力付けたい 東京の学校で新たな学び スクーターファッションのデザイン画を描いて副賞でいただいたバイク「ジョイ」に乗って 1980(昭和55)年春、ドレメ(杉野学園ドレスメーカー女学院)を卒業した私は、長野に戻り、母が校長を務めている長野ドレメ(現岡学園)の教師...


(6) 卒業制作
「センス」評価され「優秀賞」 岡学園で教職に就く道へ 師範科(2年生)の学年末の課題「フォーマル」で制作したプリーツドレスを着た私 ドレメ(杉野学園ドレスメーカー女学院)での学生生活はとても厳しい上に、忙しいものでした。日々の授業が、そのまま作品を作り上げていくプロセスに...


05 「ドレメ」 進学
デザイナー科含む3年間 一流を見て触れて成長 ファッション画の授業の後、教室に残ったクラスメートと私(左から2人目) デザイナーになりたいという小さい頃からの夢をかなえるために1977年、私は杉野学園ドレスメーカー女学院(東京都品川区)に進学します。通称「ドレメ」と呼ばれ...


04 長野西高時代
つらかった経験を糧に 自分の「居場所」見つける ファッション雑誌のデザイン画コンテストに入賞し、副賞で頂いたスカートで写真に収まる高3の私 長野西高校に進学した私は、小中学校と続けてきた陸上部ではなく剣道部に入ります。小学校でも、中学校でも短距離の記録は一番でしたが、市・...


03 将来の夢
デザイナーになりたい… オシャレ大好き少女時代 手描きのひまわりのワンピースで写真に収まる姉と私(右、10歳ころ) 次女で末っ子の私はずっと「お父さんっ子」と言われて育ってきました。県の職員だった父は優しくて子煩悩。帰宅すると、3人の子どもたちといっしょによく遊んでくれま...


02 借家の八畳一間から
母久子が洋裁教室開く 今日の糧を得るために 新築の自宅前で父母、兄姉と撮った記念写真。手前右が私(4歳ころ) 私は1958(昭和33)年に岡正義と久子の次女として岡田町に生まれました。7歳上に兄、4歳上に姉がいる3人きょうだいの末っ子です。...


01 母と二人三脚で
戦後 学園創立から79年 学校運営とブランド経営 園を訪れた卒業生と記念撮影に収まる私(左から2人目)=2023年4月 岡学園トータルデザインアカデミーは、1946年の創立から今年で79年を数えます。これまでに数千人の学生がここを巣立ち、ファッションやデザイン業界をはじ...
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