農家にワインの魅力伝え 「もっと広めたい」思い強く
高野総本店が、ワインの取り扱いに力を入れようとした矢先の1983年、旧三郷村(現・安曇野市)に安曇野ワインが立ち上がりました。地元農家が集まって設立した珍しい形態で、これを後押ししたのが、信州大学で農学を教え農村における地域おこしに熱心に取り組んだ玉井袈裟男先生(故人)でした。
私は、地元長野県産のワインということもあり、「面白そうだ」と早速出かけました。ワイン自体の消費が少なかった時代で、ヨーロッパ産ではないなどの理由からほかの業者が全く見向きもしない中、私はまだ知られていない新興ワインだからこそ、それを全国に広めるのが流通業の役割の一つとの思いもあり、取引を始めました。そこで、地域おこしの一環として余剰農産物のパイナップルや桃を使った変わり種のワインも造っていた玉井先生と、ワインを通じて意気投合したのです。
玉井先生は県内外の各地で地域おこしをテーマにした講演を熱心にしていました。玉井先生は私を講演旅行に同行させ、「私の講演は面白くないから」と言って、2時間の講演のうち後半の1時間を私に与え、私は「ワインパーティー」を開きました。
山間部に行くとワイングラスもありませんから、湯飲み茶わんにワインを注ぎました。私は、持参した数種類のワインを前に、造り方や味わいの違い、楽しみ方などワインの魅力を農家のおじさんやおばさんに分かりやすく、楽しく伝えました。すると、「あんた気に入ったからこの後、カラオケに行こう」「こんなおいしいもの初めて飲んだ」と多くの人が笑顔を見せてくれました。中には「生きていてよかった」とまで言って喜んでくれる人もいました。ソムリエ冥利(みょうり)に尽きます。
また、優しい味で、ほんのり甘い巨峰のワインのことを「おばあちゃんたちが中学生だった頃のような、乙女の味がするよ」と私が例えると、「やだー、そんなこと言って」と顔を赤らめ、楽しんでくれる人がたくさんいました。
都市部やワイン好きの人たちが集まるようなワインパーティーでは、参加する人の知識やレベルに合わせて工夫を凝らしました。ワインに気軽に触れて楽しんでもらい、ワインのファンを増やしたいと思っていた私にとっては県内各地を回れたことはとても良い経験になりました。
当時は「ワインなんて売れない」と、笑う同業者も少なくありませんでしたが、ワインを持参しながら県内各地を回り、多くの笑顔に出会えたことで「ワインをもっと広めたい」という思いがより一層強くなりました。
ただその後、安曇野ワインは経営破綻してしまいます。農家による経営には限界があったのです。そしてワイナリーの施設を引き継ぎ、再建に乗り出したのが、佐久市の樫山工業でした。私は、同社の社長に「再建に手を貸してほしい」と声をかけられ、安曇野ワインの立て直しに携わることになります。
私は優秀な人材が必要と考え、農場長には、長年日本各地のワイナリーでワインブドウの栽培指導をしてきた男性を招きました。さらに、外資系の大手飲料メーカーの秘書や豪州のワイナリーの支配人経験のあった女性を呼び寄せ、2人のスペシャリストに任せるよう提言しました。
土作り、畑作りからやり直し、外観や各種施設もきれいに整備し、2008年、カルフォルニアスタイルの「安曇野ワイナリー」が設立されました。良質なワインを提供し、観光客も多く訪れる人気のワイナリーとして、長野ワインの魅力を多くの人に伝えています。
聞き書き・斉藤茂明
2022年6月25日号掲載