6 営業10年

南信の酒屋さん新規開拓 タフな経験「度胸」「話術」培う

日本酒の白鹿(本社・兵庫県西宮市)は営業商品の主力の一つだった

 高野総本店で、3年ほど配送を担当し会社の伝票などをコンピューター管理するためのシステム構築に携わった後、30歳の頃に営業担当になりました。前任者の叔父から長野県の南半分と新潟の上越エリアを引き継ぐとともに、主に南信での新規開拓をすることになりましたが、すぐに壁にぶつかりました。

 遠方であり、未開拓に近かったことに加え、酒屋さんにはそれぞれ長い付き合いのある地元酒造メーカーがしっかり付いていたのでなかなか入り込む余地を見つけられずにいました。そんな時に助け舟を出してくれたのが、飯田市の「新美酒店」の新美浪平社長(故人)でした。弊社の取引先の一つで県内でもトップクラスの規模を誇る酒屋さん。元々は愛知県の人で、養子入りして苦労もたくさん経験し、「バイクに乗っていて転んでもただでは起きない。近くに転がっている空き瓶をつかむ。空き瓶ならお金になる」と笑って言うほど商魂たくましい人でした。

 そんなバリバリのたたき上げ、「元気の塊」のような商売人の新美社長は、突然長野市からやって来た若者を面白がって、たくさんの営業先を教えてくれ、いろいろとバックアップしてくれました。ほとんどゼロの状態で〝敵地〟に乗り込んできた私が、苦労を重ねた若い頃の新美社長自身と重なったのでしょう。また、「こいつなら、無風状態で硬直している南信マーケットに新しい風を吹き込んでくれる」と直感したのかもしれません。

 阿南町や岐阜県境の阿智村、〝日本のチロル〟といわれる旧上村(現飯田市)など、酒屋さんのある所、山奥の集落にまで軽トラックで通いました。

 長野市から来たと言うとびっくりする酒屋さんが多かったですが、興味を示してくれる人も少なくありませんでした。排他的、保守的な地域もあり、門前払いは日常茶飯事でしたが、へこんではいられません。何度か通って根気強く、丁寧に話すと理解を示してくれる店もあり、取引をしてくれる酒屋さんが徐々に増えていきました。

 元軍人だった私の叔父からは営業の心構えとして「営業をしていても鉄砲の弾は飛んでこない」と伝授されました。飛び込み営業で「いらない」と断られてもけがをするわけでも、死ぬわけでもない。「恐れずに飛び込め」というわけです。結果的に10軒だった取引先を10年で60軒まで増やすことに成功し、地元の卸売り業者の間では「長野市から来た若いやつがこの地域を〝荒らしている〟」と話題になったそうです。

 とても恥ずかしがり屋だった小学生の頃の私の面影はもうありません。知らない地で名刺一枚出して飛び込み営業を繰り返すことで、「度胸」がつきました。相手の態度や気持ち、関心に沿って、間断なく話を展開できるようになり、話さえさせてもらえれば、興味を引きつけられるという自信が生まれました。

 初対面の人に商品を紹介し、納得して仕入れてもらうのはタフな経験でしたが、このお酒がどう素晴らしいのか、魅力的なのかを説明して納得してもらう話術や熱意のようなものが培われました。この10年間の営業経験は私にとって一つの大きな節目といえ、この経験がなければ今の私はなかったと言っても過言ではありません。

 営業で培ったノウハウは、ソムリエとしてお客さまと接する時、講演などで話す時、またコンサルタントとしてプレゼンテーションをする時など、いろいろなシーンで大いに役立っています。

聞き書き・斉藤茂明


2022年6月11日号掲載