NHKのEテレの番組「100分de名著」で、8月、ロシアの女性作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのノンフィクション作品「戦争は女の顔をしていない」を取り上げていました。第2次世界大戦に従軍した女性からの聞き取りをした、その内容には、深く学ぶところがありました。ところが私はまったく別の面から、このタイトルに興味を引かれました。「戦争は・女の顔を・していない」、五・七・五音で、俳句とまったく同じ音数です。日本語訳をされた三浦みどりさんは意図的に五七五にされたのかどうか、それは分かりません。
我々は子どもの頃から、いくつも標語を知っています。「飛び出すな車は急に止まれない」など、多くは五七五の音数にまとまっています。このリズムが日本人にとって最もなじみやすく、一度耳にすればもう忘れない、独特のものなのです。
逆にいうと、世界最短詩型の俳句は、どこか標語っぽくなってしまうのも事実です。
物いへば唇寒し秋の風 芭蕉
典型的なのが、この句です。俳句のはずが、今や「ことわざ辞典」にも載っています。それは、俳句として考えると、教訓臭が強過ぎるというマイナス評価になります。我々俳人は、道徳の教科書のように俳句を詠んでいるわけではありません。俳句は詩であり、詩は文学であり、文学は不真面目や逸脱、罪・悪・背徳的な題材も扱います。
では「戦争は女の顔をしていない」はどうでしょう。命を生み育てる女性という性に、殺戮の場はふさわしくない。その主題を訴えるため、この言葉は標語としても強い訴求力を持っています。書物の題名としても、一度聞けば忘れません。改めて、五七五という音数の、他にはない力を感じた次第です。
2021年9月18日号掲載
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