江戸時代の俳人、小林一茶は、1763年に信濃町柏原に生まれました。北信地域にお住まいの方は、一茶を身近な存在として捉えておられるでしょう。
私が小学校に入る以前に読んだ絵本に、次のような一茶の句が載っていました。
雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る
我と来て 遊べや親の ない雀
痩蛙 まけるな一茶 是にあり
子どもは、「これが俳句だ」とか「季語は雀の子だ、蛙だ」ということは知りません。知らないのに、これらの一七音の言葉のかたまりは、一読して記憶してしまいます。そして二度と忘れません。これは芭蕉や蕪村にはない、一茶の句ならではの特色です。ほかに、次のような句も同様の愛誦性があります。
名月を とつてくれろと 泣く子哉
雪とけて 村一ぱいの 子ども哉
やれ打つな 蠅が手をすり 足をする
一方、実生活の一茶は、父の死後に長く相続争いを続け、50歳を過ぎてからもうけた3人の子どもは、1歳くらいで次々と命を落としてしまいます。
秋風や むしりたがりし 赤い花
これは、そんな中で詠まれた句です。よちよちと歩く子どもが、赤い花に手を伸ばして、むしりたがった。その子を失ってしまった。「むしる」という無造作な言葉が、子どもの一心な動作を伝えます。
露の世は 露の世ながら さりながら
秋の朝、葉の上に結ぶ露の玉は失せやすいもの。それゆえに、存在のはかなさの象徴として、王朝和歌に詠まれてきました。この世が露のようにはかないものだということは、自分も頭では理解していた。しかし、子どもを失ってみて、改めて「こんなにはかないものなのか」と痛感しているところです。これは、一茶の一世一代の絶唱といえるでしょう。
2021年8月28日号掲載