苦渋の「東京撤退」「事業縮小」 転機の美容イベント関与
2011年3月11日に発生した東日本大震災。東北を中心に多くの命と日常を奪った大災害は、東京にも影響を与えました。電力制限や放射能への不安などで、街から人が消えたのです。
ALPHAの東京3店は時短営業を続けましたが、客足は途絶えました。元から厳しかった経営は、高額な家賃と人件費であっという間に火の車になりました。
進むのが難しければ引けば良い。しかし、私にはその判断ができませんでした。
「長野でこれほど成功できたのだから」「今までも気力と根性で乗り切ってこれたから」「東京には億単位の投資をしたのだから」—。決断を先延ばしにする間に借金は返済不能な額にまで膨らんでいきました。「人に迷惑はかけられない。自分でなんとかしなければ」と一人、思い詰める日が続きました。
「このままどこか遠い所に行きたい」。震災から半年たった頃のことです。疲れ果て都内のある駅のホームにたたずんでいた私の目の前で、私と年格好の似た男性が入線してきた電車に飛び込みました。惨状を目の当たりにして「俺はなんということを考えていたのだ」と、われに返りました。
長野の自宅に帰って、すぐに家族会議を開きました。3人の息子に苦境を打ち明け意見を求めました。そして、東京からの撤退と事業の縮小を決めたのです。
「三軒茶屋店」「吉祥寺店」は社員に譲渡し、維持費が高額だった「表参道店」は閉店しました。長野も店舗数を縮小。自宅以外の土地や資産をすべて売り払うことで、なんとか借金は完済しました。
会社を整理する傍ら、私にはもう一つ別の仕事がありました。それは、「日本ヘアカラー協会(JHCA)」長野ブロックが主催する「ヘアカラーの魅力を伝える」イベントを手伝うというものでした。
依頼された時は「地獄の日々」の最中で、イベントどころではありませんでした。それでも引き受けたのは、JHCAの担当がALPHAのOB(元社員)だったからです。負けず嫌いだった彼女は「ALPHAを超えます」と宣言して退職し、JHCAの仕事に熱心に取り組んでいました。しかし、この時がんを宣告されていたのです。「杉山さんに手伝ってほしい」と言われて断ることはできませんでした。事情を知ったOBはじめ多くの美容師が集まり、「彼女のためにも必ず成功させよう」という一念で動いてくれました。
イベントは2012年、善光寺大本願で「irofes.ZENKOJI」として開催。着物姿のモデル80人が参道を歩き、美容師が髪形をアレンジする技を披露した会場は約1500人の観客でにぎわいました。
地元を象徴する場所で、青空の下、美容師が喝采を浴び、一般の観客が華やかな美容の世界に目を輝かせる—。国内外の多くのイベントに参加し、ALPHA単独でも数々のヘアショーを手掛けた私にとっても新鮮な体験でした。「一回で終わらせてしまうのはもったいない」。私を含め関わった多くの人がそう感じ、これが今年で7回目となる「ナガノコレクション」へとつながっていくのです。
生きる気力さえ失いかけていた私に、再び立ち上がる力を与えてくれたのはやはり美容の世界でした。
聞き書き・村沢由佳
2022年4月16日号掲載
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