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26 旅館の女将

「昔」と「今」をつなげる役目 いろいろな出会い 良き人生

レセプションカウンターとして再利用されているビリヤード台。左が私

 藤屋旅館のリノベーションでは、建物が国の登録有形文化財に指定されているため、外観はそのままで、内装もできる限り保存し、庭の木々も極力残すかたちで半年かけて改装しました。客室は結婚式場3室とレストランに。敷地の一角に新たに音楽堂を建てました。

 この時のことです。藤屋には重厚でクラシカルなビリヤード台がありました。大正時代の建築の時にはすでにあったもので、父の常夫さんはビリヤードがとても上手でした。私が小学生の時には、この上に台を置いてピンポンをした思い出があります。片付けの段階での台は重くて動かせず、処分方法をとても心配しました。

 結局それは半分に割られ、一つは入り口レセプションのカウンターに、もう一つはダイニング入り口のドリンク提供のカウンターに生まれ変わりました。すごいアイデアを持った人がいると驚くのと同時にとても感心してうれしく思いました。

 2006年3月、改装を終えた藤屋旅館は、息子の大史郎が社長となり、「The Fujiya Gohonjin」に改称。旅館からレストランとウエディング事業へと業種転換して新たなスタートを切りました。当初の5年間はリノベをお願いした「プランドゥシー」が事業の運営と人材の育成を担い、その後は、社長を中心に、学び取ったノウハウを基盤に順調に営業を重ねて今日に至っています。12年には藤屋の向かいにスイーツショップ藤屋別館「平五郎」、14年には軽井沢町の軽井沢・プリンスショッピングプラザに「門前洋食藤屋平五郎」を出店しました。

 藤屋が業種転換後、何年かしてからのことです。長野法人会女性部長だった私が企画した講演会に、エッセイストの斎藤由香さんをお招きしました。お父さまは作家の北杜夫さん、おじいさまは歌人で精神科医だった斎藤茂吉さんです。

 藤屋での講演会当日、由香さんの控室に、1927(昭和2)年に藤屋に宿泊された際におじいさまが記した名前の載った画帖を用意して置いておきました。それを見た由香さんはとても喜び、週刊誌のコラムでも紹介してくださいました。それから2年ほどして、由香さんは車いすのお父さまと藤屋を訪ねてくださいました。この時旅行に出ていた私はお二人とは会えませんでしたが、電話でお話しし、スタッフに案内をお願いして建物の中をご覧いただきました。お父さまもそれは喜んでくださっていたそうです。藤屋にお泊まりになった昔の人と今の人たちとをつなげてあげるのもここにいる私の役目だと改めて思いました。

 永六輔さんは、業種転換後もトークショー「本陣小劇場」を続けてくださいました。2010年にパーキンソン病になったことを公表し、16年に亡くなる数年前に車いすで、ピーコさんとおいでになりました。いつも長野駅の改札口までお送りしていたのですが、この時永さんは「もう1回必ず来るから今日はここでいいよ」とおっしゃって駅前で車を降り、初めて握手を交わしました。その時の永さんの手の大きさと柔らかさは今でも忘れられません。その翌年、約束通りアナウンサーの遠藤泰子さんと見えたのが藤屋を訪れた最後になりました。

 永さんはかねがね「女性の仕事の中で僕が一番大変だと思うのは旅館の女将の仕事」とおっしゃって、私はその言葉にすごく力づけられました。駆け出しの頃にお知り合いになってからずっと永さんの励ましもあって楽しくやってこられました。実際、女将業はとても大変でしたが、いろいろな人たちと出会い、貴重な体験もして良い人生を送らせていただいてきたと思います。

 聞き書き・中村英美


2023年5月20日号掲載

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