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24 「ドレメ」院長就任

  • 7月5日
  • 読了時間: 3分

母校から 驚きの抜てき 悩み抜いた末引き受ける

ドレメ院長に就任時の私
ドレメ院長に就任時の私

 岡学園創立60周年を機に、私は校名を「OKA学園トータルデザインアカデミー」に改称しました。これまでのファッションに加え、グラフィックデザインやウェブなど、ビジュアルデザインのプロフェッショナルを養成する新学科「デザインビジネス科」を創設し、新たなスタートを切りました。


 校名を変えることの判断は大きなリスクも伴いましたが、ユニフォームや「エコマコ」など、自らビジネスを展開してきたからこそ感じ取ってきた時代の変化。今後はよりビジュアルが重視され、そこにはデザインの力が必ず必要になっていくと確信し、前に進みました。もちろんすぐに結果が出る訳もなく、新しい校名の認知度を上げたり、「デザイン」の必要性が理解され、定着していくには時間もかかりました。それでも、興味を持った新しい層の高校生が徐々に増えていったことが今日につながっています。


 当時の私は、必ず二つの立場を両立させる覚悟で学校改革を始め、校長職と並行して、世界でのデザイナー活動、オリジナルブランド「エコマコ」の経営などなど、目まぐるしく多忙を極める日々を過ごしていました。


 そんな状況で4年が過ぎた2010年秋のことです。年に2、3回東京で開いていた「エコマコ」の展示会に、学校法人杉野学園(東京)の理事長がお見えになり、後日会食の場が持たれました。その席で理事長は私に、母校である杉野学園ドレスメーカー学院(同)の「次期院長をお引き受けいただけないでしょうか」とおっしゃられたのです。私は耳を疑うほど驚きました。


 私たち母娘にとって本校であるドレメは、創立100周年を迎える総本山。その本校で学んだ卒業生が地方に戻り次々設立されていった695の系列校の校名は、現在高野山に学校記念碑として刻まれています。その落慶法要が行われた2001年、私は系列校の一人として参加し、本校創立者杉野芳子先生の偉大さに鳥肌が立ったことを今も忘れていません。


 そんな本校の院長抜てきの話は、その場ではもちろん返事もできず、考える時間をいただいたものの、私はお断りするつもりでいました。なぜなら、新たな岡学園をつくり上げていこうという大切な時でしたし、デザイナーとして自分のビジネスもあります。そして何より母が90歳を超えようという頃でもありました。ただ、理事長は私のエコロジーファッションの道を切り開いてきた開拓精神とビジネス感性を評価してくださり、学内に新しい風を入れていきたいとも考え、卒業生である私を訪ねてくださったことは本当にうれしく、ありがたいことでもありました。


 その後、誰にも相談できぬまま1カ月が過ぎ、考えに考え抜いた末、自分の中で答えを出し、ある時母に「もうお断りするつもりでいる話なのだけれど実は…」と報告だけしました。母は驚いた様子でしたが、その時は何も言わず黙ったままでした。それから数日後、母は私を呼び「この前の話だけれど、院長になったらいいんじゃないの。あなたならきっとお役に立てると思う」と言ったのです。


 あの時の母のことを思うと私は、今も胸が熱くなることがあります。90歳を超える母が複雑な胸の内を抑え「行きなさい」と私の背中を押した心中は、その年の暮れ、母がくれたクリスマスカードに「あなたがドレメの院長になることは、総理大臣になるよりも私にとっては誇りです」と書かれていたことからも読み取れました。それほど母にとって大きな存在であった杉野学園。その院長になるという決断は簡単なものではありませんでした。


 どんなに頑張っても体一つの限られた時間の中で、自分がどこまで何ができるのか…。でもやってみなければ分からない…。そんな自問自答を繰り返す日々でしたが、悩み抜いた末にお引き受けすることを決め、11年4月、同学院の院長に就任しました。

 (聞き書き・中村英美)


2025年7月5日号掲載

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