23 ライナー・ゾンネ
- 2月7日
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旧友と約10年ぶりの再会 名門オケのコンマスに

テレビでベルリンフィル管弦楽団の野外フェスティバルの演奏を見ていたら見覚えのある顔に思わず「あっ」と声が出ました。ドイツのケルンの寮で一緒だったバイオリン奏者のライナー・ゾンネでした。10年ほどたっていましたが、面影はそのままでした。
たまたま寮で一緒になった友人が名門・ベルリンフィルのコンサートマスターになったかと思うと感慨無量でした。一緒にテレビを見ていた妻は、「ベルリンフィルのコンマスと友人だなんて信じられない」ととても驚いていました。
彼とはよく寮の食堂で顔を合わせていました。彼はちょっといたずら好きでしたが、寮のリーダー格で存在感がありました。ドイツでは歌劇場から小さな村の教会までクラシック音楽を演奏する場があり、音大生はよく演奏を頼まれていました。彼にはそうした演奏の仕事がたくさん集まり私たちに紹介してくれました。
彼とは同じケルン音楽院のオーケストラや授業で一緒に演奏しましたが群を抜いてうまいという印象はありませんでした。もっとうまい人は何人もいただけに、その後彼がとても努力して成長したのだろうと容易に想像できました。
1984年、ベルリンフィルが来日した際には公演の合間を縫って、彼はベルリンフィルのメンバーを中心にした室内楽団「ディベルティメント・ベルリン」のリーダーとして国内ツアーをし、須坂市メセナホールでもコンサートを開きました。
私は、たまたま見かけたそのポスターの中に彼を見つけ、会いたいと思いコンサートに行きました。当日会場に着いて歩いていると、向こうから外国人が1人歩いてきました。紛れもなくライナー・ゾンネでした。覚えたてと思われる慣れない日本語で私に「こんにちは」と言って通り過ぎようとしたところ私が後ろから「おい、俺だよ」と言うと振り返り、「あ!お前、こんなところで何しているんだ」と驚いた様子でハグしてきました。感激の再会でした。
終演後、控室で話をし、メンバー全員を近くの焼き肉店に連れて行くと、みんな日本の焼き肉が気に入ったようでとても盛り上がりました。ライナーとは昔話に花が咲きました。
ケルンの寮では数人の日本人留学生とも友人になりました。そのうちの1人がピアノの辻本澄子さん。私は彼女の「哲学的」ともいえる演奏を気に入っていました。私が長野で1回目のリサイタルを開いた時に共演をお願いすると大阪から駆け付けてくれました。
ソプラノの鮫島有美子さんも同じ寮仲間でした。鮫島さんと辻本さんと私の3人で、シューベルトが作曲したソプラノ・クラリネット・ピアノのための歌曲「岩上の牧人」を初めて勉強したのも楽しい思い出です。鮫島さんはその後、日本で発売した「鮫島有美子 日本のうた」が大ヒットし、NHKの紅白歌合戦に出場するなど、人気ソプラノ歌手になりました。
鮫島さんが長野市で公演を行うことになった時、主催した会社が、鮫島さんに自社の冊子への寄稿を依頼したところ、「長野には忘れられない人がいます。クラリネットで…」と私のことを長々と書き記してきたので、会社の関係者らは昔の恋人と勘違いしたらしく、「掲載しても大丈夫か」と私に確認の連絡をしてきました。私は「まったく問題ありません」と言いました。ざっくばらんな性格の鮫島さんらしいと思いました。
長野市公演の際には、鮫島さんとご主人の著名ピアニスト、ヘルムート・ドイチュさんを善光寺などに私の家族で案内しました。鮫島さんは、当時と変わらず明るくおおらかで、さらに貫禄が増したように見えました。
(聞き書き・斉藤茂明)
(2026年2月7日掲載)



