22 フルート職人探し
- 1月31日
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親友の依頼で求人募集 日本人2人紹介 スイスへ

私が日本に帰国してからしばらくして、イヨルクから「日本人の優秀なフルート修理の技術者を探してほしい」と連絡がありました。日本のフルートメーカーの技術は高く、数社が世界に知られるようになっていて、イヨルクは特に「ムラマツ」の技術者を欲しがっていました。
イヨルクはじめ店の技術者たちは優秀でスイスの著名な管楽器奏者たちから厚い信頼を得ていました。この店で腕を磨き独立していく人もいて、抜けた人材の穴埋めをするのに苦労しているようでした。クラリネット奏者の私はフルートメーカーにつてがなく、求人・採用事情も疎かったのですが、困っている親友のイヨルクの力になりたいと強く思いました。
まず、私は有名な音楽雑誌に「スイスでフルート修理の職人募集」と広告を出してみました。すると数人の応募がありました。私が面接の様子を逐一イヨルクに報告して一人の男性に決まりました。彼は、ドイツ語は話せませんでしたが、技術者としての向上心は強く持っているように感じました。それでもスイスに移住するのは人生をかけた決断だろうと思い、私の方も気が休まりませんでした。
しばらくして彼は家族を連れてスイスに飛び立ちました。彼にとってもイヨルクにとっても良い判断だったと思えるようにと祈るような気持ちでした。
その数年後、またイヨルクから同じ依頼がありました。一度成功したからといって、次もうまくいくとの自信はまったくありませんでしたが、前回と同じように音楽雑誌に求人広告を出したら応募がありました。明るく前向きな印象の男性で、採用が決まると戸惑うことなくスイスに行きました。日本の一流メーカーを辞めて未知の国に家族を連れて行き、職人として働きたいという人が何人もいることに驚くとともに、「大役」を果たしたことにほっとしました。イヨルクに紹介した2人のうち1人はスイスで、もう1人は帰国して日本で自分の店を構えています。
その数年後、今度はイヨルクの長男アドリアンが「ムラマツ」に修業に来ました。私が彼に初めて会った時はまだ5、6歳だったと思いますが、いよいよ父親のイヨルクの後を継ぐ準備に入ったかと思うと、感慨深いものがありました。
修業中、長野に遊びに来たことがありました。久しぶりに会った彼は、幼い頃の「ハンサムボーイ」の面影はそのままにしっかりした印象の青年になっていました。彼は私に会うとすぐ、「タカ、日本のテレビはなぜ料理番組ばかりなの?」といった日常生活での疑問や、厳しい仕事の話など、日本での生活を一気に話し始めました。苦労もあるようでしたが、その口ぶりからは充実している様子が感じられ、安心しました。
アドリアンが来ると聞いて、幼い頃から彼を知っている娘が東京から会いにやってきました。さらに、娘の友人数人も加わり、元気な「女子軍団」にアドリアンはたじたじでした。その後、娘の友人がオーナーを務めるお好み焼き店に行って楽しい時間を過ごしました。この時の娘の友人のほとんどが海外生活の経験があり、アドリアンと自然に英語で会話している様子を見て、欧州留学が珍しかった私の学生時代と隔世の感を覚えました。
その後、アドリアンは父親イヨルクの店を引き継ぎ、本当にCEOになりました。その数年後にはスイスの有名な楽器チェーン店の「ムジーク・フーク」のCEOにもなり「若き経営者誕生」と大きく紹介された新聞を見てとても驚きました。
(聞き書き・斉藤茂明)
2026年1月31日号掲載



