22 わが「いとしのエリー」

6歳下の後輩に愛の告白 3度目にまさかの大逆転

通世さん(右)と私の結婚写真

 南千歳に自分の店を出すことを決めた私は、オープン間近まで原宿の美容室の仕事を続けました。長野と東京を行き来しながら開店準備と仕事に追われていたこのころ、私はもう一つ人生の大きな節目を迎えました。それは最愛の妻、通世(みちよ)さんとの結婚です。

 6歳年下の通世さんは、原宿の店に美容師兼レセプショニスト(受け付け)として入社してきました。抜群の仕事ぶりで言葉遣いや電話応対、細やかな気配りなど全てが完璧。お客さまやスタッフの評判は上々でした。

 「この子は素晴らしいな。俺にはないものを持っている人だ」。その人柄と働きぶりに感心していた私の気持ちは、いつの間にか恋心に変わっていきました。

 流行していたサザンオールスターズの「いとしのエリー」の歌詞に自分の思いを重ね、プレゼントにレコードを添えて告白しました。しかし、返事は「私は勉強中の身ですから受け取れません」。にべもない態度にショックを受けた私は、レコードとプレゼントをごみ箱に捨ててしまいました。

 しかし、彼女への気持ちは捨てることができません。毎日、花を買って彼女のロッカーに入れました。そして同じレコードとともに2度目のプロポーズ。この時は「こんなことはやめてください」と言われ、彼女は店を辞めてしまいました。

 「これはもうだめだなぁ」。そう思いながらも、諦めきれませんでした。

 はがきを書いて通世さんの家に送りました。一緒に暮らすご両親の目にふれてもいいように他愛もない内容でしたが、「心からあなたを思っています」と自分の気持ちを伝え続けました。

 帰郷が迫った1980年の大みそか。46通目のはがきを送り終えた私は、初めて通世さんに電話しました。「長野に帰る前に気持ちにけじめをつけなければいけない。これで駄目なら今度こそ諦めよう」と思ったのです。「しつこい」と拒絶される覚悟でした。しかし、電話に出た通世さんは「あなたと結婚します。親も了解してくれています」と言ったのです。まさかの大逆転でした。

 後から聞いた話では私が別の女性と婚約中だといううわさがあり、彼女は「婚約中なのに言い寄ってくるなんて」と困惑したそうです。しかし、はがきを読んで私の言葉を信じ、家族に「この人と結婚したい」と話してくれていたのです。

 私は「長野で成功したら迎えに行きます」と言いましたが、彼女のお父さんは「商売をするなら夫婦一緒に苦労した方がいい。店を出す前に結婚しなさい」と言ってくれました。

 1981年2月11日、私たちは牟礼の福祉センターで人前式を挙げました。翌月には南千歳の店がオープンするという慌ただしくも幸せな時期でした。

 私が仕事で苦境に陥るたび励まし支え、3人の息子を立派に育ててくれた妻には感謝しかありません。今でも「いとしのエリー」を聴くと昔を思い出し、「諦めなくて良かった」と思うのです。

 先週、私たちは41回目の結婚記念日を迎えました。

聞き書き・村沢由佳


2022年2月19日掲載