20 退職、独立へ

新人育成巡り社長と亀裂 自分のやり方で—と決意

世界大会後に立ち寄ったロンドンで

 パリの世界大会で、日本の大会関係者からの理不尽な要請に従った上、土下座までした私。土下座は高校の野球部時代、「しごき」で散々やらされていたので、それほど抵抗はありませんでした。ただ、この出来事以来、私の中で何かが変わりました。

 寝食を惜しんで練習に励み、美容のコンクール(大会)で賞を取っても新たなチャンピオンや注目の美容師は次々と現れてくる。香水やアクセサリーを身に着けて原宿で働く美容師らしく見せ、精いっぱいファッションに気を使うことにも「こんなことに何の意味があるんだ」と疑問が湧いてきました。それまで輝いて見えていた世界、自分が必死で追い求めていた世界が急に色あせていくような感覚でした。

 さらに、私を店長に取り立ててくれた社長との間に、新人の育成をめぐる考え方の違いが明らかになってきました。新人でもすぐにカットなどの接客ができるように育てることを求める社長に対し、私は自分が大井町の店で育ててもらったように「美容師は時間はかかってもしっかり技術を身に付けていくべきだ」と考えていたからです。

 面接試験で新人を採用し、指導することは店長である私の仕事でした。一方で、社長が「この子は使えない」と判断した新人に、退職を宣告することもまた店長の仕事でした。社長に「美容師はそんなに簡単には育ちません」「(その子の個性を生かし)別の持ち味を出してあげたい」と訴えましたが、「雇われ店長」の私にできることには限界がありました。

 若い人には「原宿の人気美容室」は魅力だったのでしょう。求人案内を出せば100人集まることもあり働き手には困りませんでした。しかし、私の中で「あっさり新人を切るやり方は、使い捨てのようでおかしい」という気持ちはどんどん強まり、社長との溝は埋めがたいものとなっていきました。

 私に対して不満を募らせるスタッフもいました。厳しい環境で努力して成長してきたという自負があった私は、自分が経験してきたような厳しい指導しかできませんでした。それは「確かな技術を持った美容師になってほしい」という気持ちからでしたが、若いスタッフからは「厳しすぎる」「ついていけない」という声が強くなっていました。社長からも指導法を変えるように迫られ、どうすればよいのか悩みました。

 たくさんの賞を取り、雑誌やテレビにも取り上げられて、原宿の店の店長になった。夢だった世界大会への出場を果たし、有名なテレビ番組司会者など芸能人の顧客もつき、「杉山さんにお願いしたい」と新幹線や飛行機で遠くから来店してくれるお客さまもいる。順風満帆なはずなのに、「何かが違う」という気持ちが自分の中で大きくなっていきました。

 「このままでいいのだろうか」。夢を追い掛けて走り続けて来た私が、初めて立ち止まった時間でした。自問自答の末に見つけ出した答えは「自分のやり方で力のある美容師を育てたい」「美容の面白さを伝えたい」という思いでした。

 自分の店を出そう—。私は独立を決意しました。

 聞き書き・村沢由佳


2022年2月5日号掲載