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20 ピーコさんとの出会い

「大門曼荼羅」出演きっかけ 「お姉ちゃま」と呼ばれる

ピーコさんが自身の著書と共に送ってくれた手紙=1999年

 1987年の大門町のまちおこしイベント「大門曼荼羅」にお呼びしたゲストでファッション評論家のピーコさんもまた、藤屋と親交を深めてきたお一人です。

 私が最初にお会いしたのはこのイベントの何カ月か前でした。下諏訪の温泉旅館でトークショーをするという永六輔さんから「おすぎとピーコを紹介するから来ない?」と連絡がありました。双子のおすぎさんとピーコさんは、当時斬新なキャラでテレビで人気を博していました。私は車を運転して友人と2人で会場に向かいました。

 玄関を入ると、お二人もちょうど到着したところだったようで、小さなリュックを背に下駄箱に靴を入れていました。目が合った私が「長野の藤井です」と名乗ると、「ピーコです」「おすぎです」と頭を下げてあいさつしてくださり、とてもかわいらしい印象を持ちました。

 「大門曼荼羅」にピーコさんがトークで出演してくださったのをきっかけに、ピーコさんは長野でお仕事があると藤屋を訪ねてくださるようになり、お付き合いが始まりました。ピーコさんは私より三つ年下。親しくなると、私は「お姉ちゃま」と呼ばれるようになりました。

 89年春ごろのことです。ピーコさんは仲良くしていらっしゃった霊能者の女性と一緒に、藤屋の庭にある福寿稲荷に、当時具合が悪かった目の治癒祈願にいらっしゃいました。東京に帰られた後、それが目のがんであったことが分かり、秋には左目の摘出手術をすることになりました。手術は無事成功し、義眼になりましたが回復して元気になりました。

 それからしばらくしてからのこと。福寿稲荷を訪ねて、若い女性たちが見えるようになったのです。お菓子やお酒を持ってお礼参りをする人もいました。不思議に思った私は、「なぜ藤屋の一番奥まったところにあるお稲荷さんを知っているの」と聞くと、深夜放送のラジオでピーコさんが「自分の目の悪いのを知らせてくれたのは藤屋のお稲荷さんで、それはとても優しいお稲荷さん」と紹介してくださっていたそうです。以来、ピーコさんは、藤屋に来るたび最初にお稲荷さんにお参りしていました。手術から5年後、皆さんにお世話になったからとピーコさんは東京のホテルで快気祝いを行い、私も呼んでくださいました。

 目の手術をしてから間もなく、ピーコさんは、永さんから何か習い事をした方がいいと勧められ、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」(1990年閉店)で伴奏をしていた小泉源兵衛さんの下でシャンソンを習い始めたのだそうです。それから15年くらいがたつと、永さんが「ピーコはね、シャンソンカスだったけどやっとシャンソン歌手になったよ」と褒めるくらいになっていらっしゃいました。

 その後、ピーコさんがトークショーの最後にアカペラでシャンソンを披露されたことがありました。「藤屋でコンサートができたらうれしい」と語るピーコさんに、会場の後ろの方で聞いていた藤屋社長が両手で大きな○のサインを出していました。藤屋がレストランになってからもピーコさんのシャンソンとトークのディナーショーを企画させてもらい何回か出演していただきました。

 永さんの晩年、ピーコさんが車いすに乗った永さんとトークショーに見えた時に歌ってくれた永さんの相撲甚句とピーコさんのシャンソンは、今でも忘れられない大切な思い出です。

 聞き書き・中村英美


2023年4月1日号掲載

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