ナパバレーにあるような ワイナリーショップを
サンクゼールは1997年、長野冬季オリンピックのライセンスを取得し、ロゴマーク入りの特別製造ジャム5種(りんご、ブルーベリー、ラズベリー、くるみ、ハーブミックス)を限定販売しました。百貨店のギフトコーナーなど、全国さまざまな店の売り場に並び、大変よく売れて、苦しかった経営状態が上向くきっかけの一つになりました。
同じ頃、軽井沢町のリゾート型ショッピングモール「軽井沢プリンスショッピングプラザ」(95年オープン)の第3期増床計画の新聞記事を読みました。強く心がひかれて早速問い合わせをしましたが、テナント募集は締め切った後でした。
斑尾高原での創業時代、軽井沢には飛び込みでセールスに通っていました。有名な老舗のジャムブランドの店があり、いつかは私も軽井沢にこういう直営店を持ちたいと強く憧れていたので、締め切ったと言われても諦めきれませんでした。チャンスをいただきたくて、自分の手で2日ほどでまとめた企画書を、ダメ元で運営会社(現在の西武プロパティーズ)の本社に送りました。企画書の参考にしたのは、三水でワイナリーを始めるにあたり、研究のために数回視察した米国カリフォルニア州のワイン産地、ナパバレーのワイナリーショップです。
サンフランシスコから車で1〜2時間ほどの場所にあるナパバレーは、30年ほどでさまざまな規模の約200社のワイナリーができ、歴史が浅いのに驚くようなグレードのワインが造られていました。週末はワイナリーツアーが楽しめるなど、観光でも大成功していました。マーケティング力があり、私たちのような新しい会社には、歴史のあるフランスのワイン産地よりも参考になりました。ナパバレーでいろいろなワイナリーのショップを見て、来店客がワインの試飲をする写真などを資料として撮りためていました。そういった写真も一緒に入れて、「『サンクゼール・ワイナリー』として、ナパバレーにあるような空間をつくり、お客さまを楽しませたい」という思いを込めました。
送った企画書に東京本社の常務が共感してくれて、本社に呼ばれたのですぐ行きました。すでに別の会社が入ることに決まっていた区画のうち、23坪をいただけることになりました。
常務からは「ワインだけを販売してほしい」と言われましたが、単なるワインコーナーではなく、「サンクゼール・ワイナリー」というブランドとして、ジャムやソース、ドレッシング、ワイングッズなどもそろえた店にしたいと説得しました。
晴れて99年にオープン。ナパバレーのワイナリーショップのような、ワインの説明を聞きながらテイスティングできるカウンターを作り、ワインを壁面に飾りました。こういうサービスを本格的にやる店は当時の日本にはほとんどなく、あっという間に人気店に。面積当たりの売り上げがショッピングプラザでトップクラスになり、初年度1億7千万円を売り上げました。全国的に無名のワイナリーのワインを、輸入ワインを飲んでいる東京の方々が本当に認めてくれるか心配していましたが、心配を覆すくらい喜んでくれました。ブドウ「ナイアガラ」を使った自社製ワインはとぶように売れました。
新幹線の開通で、軽井沢駅に隣接するショッピングプラザも全国に広く知られる施設になりました。日本中に「サンクゼール・ワイナリー」という名前を広める絶好のデビューになりました。反響は大きく、いくつも引き合いがあり、県内、東京と出店を広げる足掛かりになりました。
聞き書き・松井明子
2021年6月19日号掲載