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17 仕事と子育てと

忙しく目まぐるしい日々 責任感の強い姉 優しい弟

長女の友達の家族と遊びに行った羽田空港で。右から3人目が長女、その左が長男、左端が私=1977年

 藤屋での女将修業の時期は、今でいうシングルマザーとして2人の子育てとともにありました。藤屋で再び働き始めた頃、長女香苗は4歳、現在藤屋の社長として頑張ってくれている長男の大史郎は2歳でした。当初は県庁近くの乳児院に預けていた長男もしばらくすると姉と同じ善光寺保育園に通うようになりました。2人が小学校にあがるくらいまでは、忙しい旅館の仕事の合間に朝夕の送迎をして、ご飯を作って食べさせて、お風呂に入れて寝かせて—という目まぐるしい日々を過ごしていたように思います。

 長女は、とても責任感が強い子どもでした。彼女が小学校低学年ごろのことです。私が旅行の時には、もちろんいち子母には頼んでいくのですが、娘にも「弟の面倒をちゃんとみてね」とお願いして出かけました。後からいち子母に聞くと、彼女は弟を心配するあまり緊張で具合が悪くなり、毎回学校を休むことになっていたようです。

 長男はとても優しい子でした。ある時、私が旅行に出る後ろ姿をロビーの台の上に座り込んでじっと見つめていたのだそうです。従業員の一人が「大君、あそこの台の上に座り込んでこぶしで涙をぬぐっていた。もらい泣きしちゃったよ」と伝えてくれました。そんな彼が何かいたずらをして、私が蔵に閉じ込めたことがあります。お蔵の扉は重く頑丈でそこはとても暗い場所でした。すると長女が「私も」と助け船を出してくれて、結局一緒に入るほど、とても仲の良い姉弟でした。

 当時、小学校には春と秋、田植え休みと稲刈り休みの農繁休業がありました。旅館業は土日も休めませんが、2人が小学生の間は、この休みを利用していろいろな所に出かけました。電車や車で黒部ダムや羽田の飛行場、上野動物園などに行った思い出があります。天竜川の船下りでは、お客さんは私たちだけ。途中に撮られた写真には家族3人しか写っておらず買うほかありません。帰りの木曽路でスピード違反をした際は、子どもたちは車の窓から、違反切符を切られている私の方を心配そうに見ていました。

 小学生の2人が帰ってくる頃から夜にかけては、旅館はとても忙しい時間帯で、私は毎日子どもたちのために小さなおにぎりを作って茶の間に置いておきました。息子が2、3年生の頃、友達のお母さんから「おにぎり、ごちそうさまでした」とお礼の電話をいただきました。家に遊びに来た友達の分がなかったため、息子は自分でおにぎりを握ってあげたのだそうです。また同じ頃のこと、藤屋のティールームでメニューのエッグサンドの作り方をマネジャーに教えてもらった息子は、私が材料を買ってくると自分でそれを作っていました。

 そしてそれからずっと後、息子は東京の大学を卒業後1年間、私が卒業したYMCA国際ホテル学校へ進みました。当時は本人が望めば、ここから一流ホテルのフロントなどへの就職もすぐにできた時代でした。しかし、息子が小さい時から料理好きだったことと、私が長く旅館に携わってきた中で最も苦労したのが料理部門だったことから、息子に「料理の勉強をしてくれたらうれしい。板前さんをうちの者がやっているってそれほど強いことはないよ」とお願いすると、「いいよ」と答えが返ってきました。ホテル学校の先生の紹介で、新宿にあった格式の高い日本料理店に就職。板前として修業を積んで1999年に藤屋に入社。藤屋旅館の料理長を経て、2006年に社長に就任して今に至っています。

 2人とも善光寺の御開帳のあった1997年に結婚して、それぞれ家庭を持って市内で暮らしています。

 聞き書き・中村英美


2023年3月11日号掲載

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