ユニークな栽培農家夫妻 説得し逸品の赤ワインに
2007年ごろ、上伊那郡宮田村で、地元で栽培されたワイン用ブドウ品種「ヤマソービニオン」を本格導入すると聞いて早速見学に行きました。ヤマソービニオンは、野生種で寒さや病害虫に強いヤマブドウと、赤ワイン用のブドウ「カベルネ・ソーヴィニヨン」を交配した品種です。
村を見て回った私は、際立ってきれいに整備されたブドウ畑に「一目ぼれ」してしまいました。平沢秋人さんの畑でした。「平沢さんの畑のヤマソービニオンを原料に私専用のワインを造りたい」と考えた私は、自宅にお願いに行きました。
奥さんの対応はそっけないものでした。ソムリエの間ではヤマソービニオンで造ったワインは非常に注目されていると説明すると、やっとお茶を出してくれました。後で分かったことですが、夫の秋人さんがブドウ栽培に執着するあまり、家庭を顧みなかったようなのです。朝の7時に畑に出ると夜の7時まで帰ってこない。「うちのとうちゃんは、ヤマソービニオンと結婚して、私のことはどうでもいいみたい」と愚痴りました。
私は平沢夫妻に、「平沢さんの畑がきれいな栽培方法で、非常に手を掛けて作っていることは畑を見れば一目瞭然。この畑のブドウから造られたワインが世界的に評価される可能性を持っている」と説得すると、徐々に夫妻の表情が変わり、「それほど評価してくれるならやってみるか」と言ってくれました。
ヤマソービニオンはヤマブドウの血を引いているので成長スピードがとても速く、高くつるを伸ばして実を付けて日の光を受けようとします。ほかのブドウ品種より3倍も速く成長するので、作業の頻度も増します。村は病害虫に強い点だけに着目し、成長の速さは見落としていました。
また、ブドウはつるが一定の長さに伸びたら、実に十分栄養がいくようにつるの一番上を切って、枝の成長を止めます。春から夏にかけて、この作業が大切なのですが、とても手間が掛かります。平沢さんは朝から日が暮れるまで誰よりも熱心にこの地道な作業を続けたので素晴らしい畑が出来上がったのですが、反面、奥さんとの関係をぎくしゃくしたものにしてしまったのです。
私は平沢さんの畑で収穫したブドウで造った赤ワインを、マスターソムリエ高野豊セレクションとして、現在「駒ケ原平沢畑」という名前で販売しています。フランスでは、商品に個人名が入るのは非常に質の高いワインの証し。このワインはそれほどの逸品です。
平沢さん夫妻はユニークで、ある時、平沢さんが畑で取材を受けた際、「このブドウは、フランス産の高貴なカベルネ・ソーヴィニヨンと野生の血を引くヤマブドウの交配品種。私がカベルネ・ソーヴィニヨンで、ヤマブドウはかあちゃんのようだ」と冗談交じりに話すと、奥さんは「私は野生のヤマブドウか」と怒りました。こんな夫婦のやりとりは、飾らない人柄としてマスコミで取り上げられたりしました。「駒ケ原平沢畑」は、全国のワイン愛好家に知られ、収穫期には多くのボランティアが手伝いに訪れるようになりました。
夫婦関係をぎくしゃくさせた原因がブドウで、その夫婦関係を修復したのもブドウでした。最高品質のブドウとユニークな夫妻との出会いはとても印象深いものでした。
聞き書き・斉藤茂明
2022年9月3日号掲載
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