17 リーダー観

一人で悩まず窮状を話す 頑張ってくれたスタッフ

三水の自宅に遊びに来た両親と私(中央)。ガーデニングが好きなまゆみさんと2人で手作りした庭で

 聖書のみことばが私を変え、教会で癒やされる経験をして、まゆみさんに続き私も1993年に洗礼を受けました。それまでは努力して戦って勝ち取る人生で、常に頑張ってきました。しかし、弱いままでいい、頑張らなくてもいい、ありのままの自分がゆるされる世界を知りました。悩んでいた不眠や声が出なくなる症状は、教会に通い始めてから自然に治っていきました。教会では、牧師さんの説教がBGMのように心地よく感じられて、牧師さんには申し訳なかったのですが、よく眠れました。

 本社から車で10分ほどの所に、私たちの農園「大入葡萄園」があります。ブドウ畑には深い林が隣接していて、一人で歩くと鳥の声が聞こえ、風も爽やか。ここを一人で歩いて過ごす時間も、私を癒やしてくれました。

 会社は、銀行から追加の借り入れや、保険の解約のほか、ジャム部門の利益でほかの部門の赤字の穴埋めをしていましたが、いよいよ駄目かもしれないという状況になりました。スタッフみんなを集めて、「実は借入金が膨らみ、年商を上回る借金をしてしまっている。このままいくと、相当頑張らないと会社は危ないかもしれない」と涙ながらに正直に話すと皆も涙を流してくれました。弱々しい私の横にはまゆみさんがいてくれて、一緒に頭を下げてくれました。

 会社が危機的状況になるまではまゆみさんにも、スタッフたちにも頼っていませんでした。借り入れがこれだけ多く、経営が大変になっているなどと話したら、心配して夢をなくして私から離れていくのではないかと思っていたので、一人で悩んでいました。 

 しかし、実際に正直に話したら一人も辞めることなく、それどころか2倍、3倍も働いてくれるようになりました。私が夢を語り、会社を中野市から三水村(現飯綱町)に移した時は3分の1が辞めていきましたが、会社の窮状を知った皆さんは驚くほど頑張ってくれました。

 これは私の人間観、リーダー観を大きく変えるきっかけになった体験でした。それまで、リーダーは完璧でなければならない、弱音を吐いてはいけない、人に頼ってはいけないと思っていました。しかし、それは人を信頼していない、自分が一番偉いと思っていたことの裏返しで傲慢(ごうまん)な考えでした。

 その後もスタッフと共に頑張りましたが、しばらくはゆとりのない経営状態が続きました。会社を成長させるために、私個人も借金して会社につぎ込んでいたので、2人の息子を大学に進学させるための資金が不足していました。

 以前から、三水村の篠原村長から、「仕事として来るだけでなく、三水に住まないと本当の意味で信頼されない」と移住を勧められていたこともあり、長野市箱清水の自宅を売却し、現飯綱町の倉井地区に家を建てることにしました。長野冬季五輪の前年で、環境も良かったので幸いにも家が高く売れ、自分の借金はほぼ返して子どもを大学に進学させられるだけの資金的ゆとりができました。

 知り合いのいない三水への移住を、まゆみさんは心配していましたが、私は三水が大好きだったので説得しました。当時は円高で、米国オレゴン州ポートランドから建築資材を調達し、米国人宣教師の大工さんに頼み、アメリカン住宅を格安で建てました。

 大変景色が良く、いろいろな人と知り合うことができました。長男は東京で大学生生活、高校生の次男は寮生活で、普段は夫婦2人の生活でしたが、家族みんながこの村を大好きになりました。

聞き書き・松井明子


2021年6月12日号掲載