16 信仰

聖書の みことば深く心に 落ち込んだ私 励まされる

教会での洗礼式が無事終了して喜ぶまゆみさん(左)と私

 資金を貸してもらえなくなればすぐに倒産という緊張感の中で、私は銀行の担当者に何回も再建計画の説明をしました。そして、だんだんと追い詰められた気持ちになっていきました。

 結果が伴わないと、「自分が間違っていたのではないか」と自信がなくなってきます。声はかすれ、だんだん小さく、出なくなっていきました。借金のことがずっと頭から離れず、夜も眠れません。朝が来なければ良いのにと何度も考えていました。

 会社が倒産したら、まゆみさんや子どもたちはどうなるか。私だけでなくまゆみさんは会社の債務の保証をしているので、もし倒産したら彼女に大きな負債が行ってしまう—。

 法的には離婚すれば私一人で済むことだと思い、私はまゆみさんに「離婚してほしい」と3回くらい頼みました。しかし、まゆみさんからはいつも「とんでもない。こういうときにこそ、私はあなたをサポートする」という力強い言葉が返ってきました。

 それまで私は、まゆみさんに本当の意味では頼っていませんでした。夢ばかりで強気でがんがんいっていた私が弱気になり、まゆみさんはむしろ「初めて自分を頼ってくれた」とうれしく感じてくれたようでした。「会社と結婚したのではなく、あなたと人生を歩もうと思って結婚したので、絶対に別れないし支えます」と言ってくれました。その言葉で少し自信を取り戻せました。

 この頃、まゆみさんはクリスチャンになり、当時住んでいた長野市内の教会に通っていました。私が夜布団に入って眠れずにいると、横で毎晩聖書を読んでくれました。信仰とは遠いところにいた私でしたが、まゆみさんが読んでくれた聖書のみことばが心に深く入ってきました。

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(1コリント10:13)

 「艱難(かんなん)さえも喜んでいます。艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません」(ローマ5:3〜5)

(共に「新改訳第3版2003年発行」より)

 そして、「傲慢な私が、人の心の痛み、苦しみ、弱さがわかる経営者になるように、今は神から試練が与えられているのだ。良三という人間は神の目から見ると素晴らしい可能性を秘めているが、今のままでは駄目で、もっと鍛えて世の中に貢献してみんなを幸せにできるような器にしようと期待してくれているのだ」と思えるようになりました。

 いつも自信満々だった私には、人を思いやり、ねぎらいの言葉をかけたり、感謝したりといった、人として当たり前のことが欠けていました。それが、苦難によって学ばせてもらったのだとポジティブに理解することができるようになりました。聖書は、落ち込んだ時にこんなに励ましてくれる書物だということを初めて知りました。

 私も一緒に教会に連れて行ってもらいました。教会では、牧師さんが私たちのために祈ってくれました。耳の不自由な人やおじいさんおばあさん、信者のみなさんが、「会社が良くなりますように」「健康が元に戻りますように」と、私のために一生懸命祈ってくれました。人から祈られるのは初めてのこと。慰められてほっとした気持ちになりました。

聞き書き・松井明子


2021年6月5日号掲載