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15 劇団の常宿に

役作りでハイヒール履く 杉村春子さんの努力に敬服

「欲望と云う名の電車」長野公演で訪れた文学座座員らのサイン色紙(長野市民劇場所蔵)

 私が藤屋で本格的に仕事をするようになった1970年代から80年代にかけては、全国に広がる演劇鑑賞団体「市民劇場」の活動が盛んで各地で演劇鑑賞会が開かれていました。長野でも長野市民劇場が企画した公演が年に6〜7回あり、藤屋は日本を代表する劇団の「文学座」や「劇団民藝」「俳優座」「前進座」「無名塾」などの常宿になっていました。

 劇団にもよりますが、そのたびに40〜50人ほどのご利用でした。その日の公演を終えて劇団の人たちが藤屋に戻ってくるのは夜10時過ぎ。この後10時半ごろから皆さんに夕食をお出しするのですが、どの劇団の人たちも話好きで、お酒も入ると宴会はしばしば深夜にまで及びました。最初の頃こそお付き合いしていましたが、途中からは割り切って後片付けを朝にして、12時には「ごゆっくり」と私たち旅館スタッフは引き上げることに。私はそこから帰る足のない何人かの従業員を車で送っていくのが常でした。

 木下恵介監督の長野ロケの頃から藤屋を利用してくださっていた文学座の杉村春子先生(1906〜97年)は、舞台が終わって戻ってくると必ず「何々さんと何々さんいらっしゃい」と何人かの俳優さんをご自分の元に呼び寄せてその日のお芝居の駄目出しをなさっていました。先生に名前を呼ばれた若手の人たちがビクッと緊張していたのを思い出します。

 座員には厳しい先生でしたが、私たちには優しく接してくださいました。いつも香水をつけていらっしゃって、奥の部屋にご案内する時などにはとても良い香りがしました。色眼鏡をかけて、スカーフを上手に巻いて、おしゃれな先生だった印象があります。

 そんな杉村先生が80歳くらいの頃ハイヒールでお越しになりました。驚いた私は、先生と一緒に見えた文学座座員であった二宮さよ子さんに聞くと、1年後に再び「欲望と云う名の電車」で主演を務めることが決まっているとのこと。「スリップ1枚、ハイヒールを履いて舞台に立つことになるため今から練習をしていらっしゃるの」と教えてくれました。一流の人というのは日頃からすごい努力をされているのだなあと改めて敬服の気持ちが込み上げました。

 文学座の人たちは、全国を回った公演の「打ち上げ」は決まって藤屋を使ってくださいました。まだ公演を残していても、藤屋で打ち上げをしてほかへ行くという場合もありました。この時は、みなさんお庭まで上手に使われて雰囲気のあるすてきなパーティーの演出をされていました。

 宇野重吉さん(1914〜88年)がお仲間と立ち上げた「劇団民藝」で思い出すのは、ある年の夏のことです。民藝と同じ日に世界的な男声合唱団「ドン・コサック合唱団」が宿泊していました。夜遅く民藝の人たちが帰ってくると、応接間でのんびりされていらした合唱団の人たちと意気投合されて、みんなでロシア民謡を歌い出すなどして楽しそうに交流を深めていらっしゃいました。

 ウィーン少年合唱団が訪れたときのことです。約20人の小学3、4年生くらいのかわいらしい子どもたちが、藤屋の一番奥の特別室も使っていくつかの部屋に分かれて泊まりました。寝る前くらいの時間になって特別室の置物が気になって様子を見に行くと、案の定、部屋では枕投げが始まっていました。「こらーっ!!」と日本語で叱ると、みんな目を丸くしてやめました。それで枕投げは万国共通であることを知りました。

(聞き書き・中村英美)


2023年2月25日号掲載

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